男の痰壺

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悲しみは女だけに

★★★★ 2019年3月30日(土) シネヌーヴォ
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よくもまあ、こんだけ救いのない物語を構築したもんだ。
戦後まもない広島、尾道が舞台だが、小津や大林の映画とは別世界。
しかし、この時代はみんな、こんな感じだったのかもしれません。
夢も希望もないっちゅうか、居たたまれない。
 
小沢栄太郎が一家の軸。
彼は220年以上警察で真面目に務めたのだが、ふとした気の迷いで退職し、闇商売で失敗した。
女房(杉村春子)に逃げられ、今は売春宿をやる女(望月優子)の情夫。
その子供たちも、ろくなもんでもなくって、船越英二の長男に京マチ子の長女に市川和子の次女。
この、欲の皮がつっぱった連中のののしりあいは、後の新藤脚本の「しとやかな獣」をちょっと思わせる。
 
そこに、若くしてアメリカに移住した小沢の姉の田中絹代が墓参りで帰国するとこから物語は始まる。
のであるが、この田中絹代がちょっと絶品。
やたら、ことばのはしばしに英単語を交えてギャグかと思うくらいに凄いっす。
かつて、アメシャン女優と揶揄された彼女が、ようやったもんだと思う。
っていうか、そんなこと気にもとめんのやろね。
人間のスケールがでかいと思う。
 
新藤の実姉がモデルなのだろう。
のちに、「地平線」という映画にもなっております。未見ですが。
 
悲しみは女だけにあるんじゃなく、男もみんなどうしようもなくヘタレで悲しい。
だが、そこから立ち上がるのは女のほうが先だし底力があるんでしょう。
そういう、女性賛歌だと思う。
 
戦後の困窮時代とピカ残滓ある場所で家族は崩壊しつつある。差し込まれた異物絹代はギャグ寸前のズレを発散しつつ見守る立場なのだが、非難や嫌悪や傲慢の欠片もない菩薩のような慈愛を静かに発散し一家は軌道に戻る。新藤の理想化された姉への憧憬。(cinemascape)