★★★★ 2019年6月22日(土) シネヌーヴォ
母を看取る数日間を描いた映画で、出演は母と息子の2人だけ。
2人の背景もなにも一切説明なしです。
どっか、人里離れた朽ちかけの家で、2人は静謐にその瞬間を待ってるよう。
息子が介護をしながら何考えてるかってのが描きたいポイントらしい。
歩くこともままならない母を抱きかかえては外の空気を吸わせたりします。
このおっかさんが本当に死にかけみたいで生気のかけらもないのが、すごいと思う。
であるから、抱きかかえても動かないし反応もあまりない。
前半は、そういう動きのない日常を、これでもかのワンカット長回しで見つめ続ける。
何せ死にかけだから動かないし変化がない。
変化がないものを長回しで捉え続けるってのは、相当に自信がないとできる芸当じゃありません。
ソクーロフおそるべし。
映画は後半、家を出て山の中を歩いていく息子を追う。
冥界を彷徨うかのような歪んだショットが切り返されて動きが発生する。
海の見える高台に出ると大海原に船が一艘。
これが、夢幻的でちょっと凄いショットであります。
息子は嗚咽する。
ああ、彼は母ちゃんを愛しているんだろうが、それでも介護で世界と断ち切られた若い肉体を、あるいは無為な時間に対して苦渋でのたうちまわっているんだと思えるのです。
家に戻ると母ちゃんは死んでいた。
手に蝶が一匹。
パっとそいつが飛翔すれば映画として帳尻がつくんだろうが、それは長回しをあざ笑うかのように飛ばない。
でも、それでもいいと俺は思った。
ソクーロフは誠実だと思う。
朽ちかけの家で朽ちゆく母を看取るのだが、この母が本当に死にゆく今際の際の幽体離脱手前に見え長回しの凝視が荘厳さを帯びる。息子は歪んだ冥界を彷徨うように山間を歩いて高台へ着く。広がる乳白色の海に汽船1艘の幽玄。静かな嗚咽が全てを物語るのだ。(cinemascape)