男の痰壺

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ホットギミック ガールミーツボーイ

★★★★★ 2019年7月3日(水) 梅田ブルク7シアター5
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地味でクラスでも目立たないな女の子が、イケメンモデル少年と秀才ドS少年と、さらに血のつながらないマジメ系兄貴からも想われて、あっちいったりこっちいったりのフラフラ行脚。
まさに、少女コミックや恋愛シュミレーションゲームといった、女子向け妄想&理想世界を描いたものであるから、おじさんの俺としては、こっぱずかしくて見れたもんじゃない。
のではあるが、山戸結希の新作ってことで恥を忍んで見に行きました。
 
前作「溺れるナイフ」は、中上健次的世界を長谷川和彦的な粘度で描いたなんていうと褒めすぎだが、それでも、ちょっとそこらへんの新人とはモノが違うって感じた。
あるべきショットが無い。
ってのは、ゴダールが「勝手にしやがれ」を世に出したとき、映画のイロハも知らないド素人と揶揄されたジャンプ繋ぎを連想し、これは、天才かドアホかだわって思ったのだが。
 
本作は、そのゴダールが数年後に完璧に流麗で且つ斬新な「気狂いピエロ」に到達したことを連想させる。
語り口としては、すさまじい進展で、なおかつめっちゃかっこいい。
そのかっこよさが、物語世界のうっとおしさを凌駕する。
 
まあ、難点がないこともない。
親同士が不倫関係だとかってのは、この大人の存在が希薄な世界では、正直どうでもいいのだが、物語を随所で起動させるトリガーなわけで、半端に挿入させた感がぬぐえない。
 
終盤になって、山戸が仮託するエモーションは、主人公の少女の惑いとか決断とかの話よりも、男たち3人の方にベクトルを転じる。
この3人各様の帳尻がつく形で映画は収斂するのがものの見事に決まって据わりがいい。
 
出演陣の中では、やはり清水尋也だろう。
「ソロモンの偽証」や「ちはやふる」で磨いたドS演技の集大成であり到達点で、その挙句の純情には打たれた。
 
地味女子の妄想譚的な四角関係を理数系の合理性で処理したような幾何学的な美しさがあり、それはロケーション選定やカットの断片組成にも及ぶ。主体性ゼロの流され続ける主人公を触媒とし男たちは変容する。祝祭的な帰結が山戸流の全肯定なエールなのだ。(cinemascape)