男の痰壺

映画の感想中心です

主戦場

★★ 2019年7月6日(土) 第七藝術劇場
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従軍慰安婦問題に関しては、国同士の交渉は2015年の日韓合意で終息したはずであったのだが、韓国サイドの民間レベルの激しいロビー活動で蒸し返され現在に至る。
ってのが、おおむねの日本人の見方だと思う。
 
喧嘩ってのは、双方の言い分がエスカレートする。
日本の右派勢力は、そもそもに強制連行とかはなかったのだとまで言い出す。
アメリカでのフェミニストを巻き込んでの論では、あたかもナチスユダヤ人狩りのように泣き叫ぶ女性を拉致したというイメージが敷衍する。
 
俺は、そういった双方の言い分を客観的に並べて互いの誤謬を指摘することで、この問題を再考するものであってほしかったと思うのだ。
前半2/3くらいまではそういう姿勢かと一応は思わせる。
右派勢力の論客のなかには、まともなことを言うやつもいるが、このおっさん或いはこの女ホンマ糞やわってのもいる。
でも、概ね客観的なセレクトやんと思っていた。
 
ところがである。
映画は終盤になって、逸脱を始める。
日本会議が俎上にのぼってからは露骨に作り手の意図がさらけ出されてくる。
戦後、日本がGHQの指示下で再軍備をすすめたとき、巣鴨プリズンから1人の戦犯が連れてこられた。
なーんて、俺はあれっと思ったが、まさかねーとも思った。
そんなミエミエのことやめてよーとも思った。
その男の孫。
それは、シンゾー・アベ!!
ジャジャジャーンってっか。
単なる反アベ映画だったんですね。
慰安婦問題どこいったのよ。
 
冷静な論拠と愚昧な妄論が混在する右派の攻めに対し当たり障りない性善的感情論だけでは手打の卓袱台を返した根拠に遠い。そこで俄かに日本の右傾化と反アベに問題をすり替えた為に単なる左派の扇動映画に堕してしまった。問題解決の本質は遠ざけられたのだ。(cinemascape)