男の痰壺

映画の感想中心です

旅のおわり世界のはじまり

★★★★ 2019年7月6日(土) テアトル梅田1
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黒沢清の、こういった随筆系の映画って初めてじゃなかろか。
そういう意味で興味深いものがある。
 
前田敦子の演じる女性のキャラであるが、やっぱり普通じゃない。
彼女、やたらウズベキスタンという異郷の街で1人で出かける。
しかし、出かけるのだが、現地の人とのコミュニケーションをとことん遮断しようとする。
じゃあ、何のために出かけるねんってことなのだ。
 
バザール目的で出かけて、いざ店の人に声かけられると逃げ出す。
バザールを出て、どこかのひなびた町角の雑貨屋みたいなのに入って、ろくに商品見ずに手当たり次第に買って出る。わからんキャラ。
何かから逃げるように彷徨いつづけて夜になって怖くって怯える。
 
この、しょーもない旅レポ番組のロケ隊を描いた映画で、彼女の行動原理の不可解さが、それでも一応、映画を牽引するのだからこれでいいのかもしれない。
黒沢は前田のことを、孤独表現が秀でているみたいなことを言っていたように思う。
そうなのか?とも思うのだが、平凡な日常の超常なことが何もない世界で、そのキャラだけが確信的に自我を見い出すのは、それはそれで有りなのかとも思ってしまうのだ。
 
それだけに、あの「回路」や「カリスマ」を想起させるような東京湾の大火災のTV映像は違和感があった。
あれは、映像で見せる必要なかったように思う。
 
人嫌いなのに人混みに行き孤絶を弥増させる彼女の唯一の世界との接続点が喪われたとき自分の立ち位置を思い知るが、その経験故にこそ再接続された世界は拡張して彼女の前に広がるのだ。いいタイトル。4人の男性クルーの絶妙な距離感も旅路を彩るに相応しい。(cinemascape)