男の痰壺

映画の感想中心です

キラー・エリート

★★★  2024年7月8日(月) プラネットプラスワン

中盤でジェームズ・カーン一派がサンフランシスコのチャイナタウンに亡命台湾人一族を救出に行く件がある。阻もうとする一派とは別に屋上で待ち構えるロバート・デュヴァルと他1人。この構図に「ワイルドバンチ」の冒頭の銀行襲撃のシークェンスがチラリと頭をよぎった。カーンがホールデンでデュヴァルがロバート・ライアン、さすればパート・ヤングはボーグナインでボー・ホプキンスはウォーレン・オーツベン・ジョンソンってとこですかね。

でも、這々の体でその場を脱出した車でパート・ヤングが曰う「街中であんな派手な銃撃戦やっちまったんじゃ俺たちもう終わりだぜ」の言葉も虚しくその銃撃戦は「ワイルドバンチ」の半値八掛け2割引なのてあった。であるのだが、哀しいことに本作で一番マシな見せ場はそこくらいしかないんです。

 

大体、のっけから主役のジェームズ・カーンが撃たれて手術・リハビリのシーンが延々続きます。なんやこれリハビリの映画か?と思うほどに。「戦争のはらわた」で中段に置かれた野戦病院のシーンはインターバルとして機能してたけど、最初からこれでは話いつ始まるねん!となるわけですな。

看護婦が公私にわたって甲斐甲斐しく世話するわけですが、いざ回復して仕事に、となるときは無情にも彼女を棄てる。このパターンはバート・ヤングのときも「あんたもうそっちの仕事せえへん言うてたやない」の言葉を無視して出ていく。ペキンパー映画では女は泣かされる。でも、泣かせた女への想いも伝わってくる。男ってのはーあゝ男ってのはよーです(なんのことやら)。

 

敵方に忍者軍団みたいなのが出てきて、カーン一派と殺陣を繰り広げるのが公開当時は不評だったように覚えてますが、今の時代ではこんなもんじゃ驚きません。このカーンと忍者のヘナチョコ殺陣は後年にジョン・ウートム・クルーズによって「M;I-2」で踏襲されるわけです(ウソです)。

 

チャイナタウンでの銃撃戦はカーンとデュヴァルの因縁が基底にある点に於いて『ワイルドバンチ』冒頭のそれの劣化コピーを思わせるが、一番マシな見せ場はそこだけ。男を立てるにゃあ尽くす女を棄てる覚悟がいる。それがペキンパー流男の生き様。(cinemascape)

 

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