男の痰壺

映画の感想中心です

あんのこと

★★★ 2024年6月11日(火) なんばパークスシネマ3

夢も希望もなく疲弊し荒みきっている。そんなとき幾許かの希望が与えられ、後にその希望を潰される。そんなことが何度か繰り返されると回復不能になり完全に潰れてしまう。

こういった自壊シュミレートに肉付けした物語という以上のものは感じられなかった。

 

それで何が悪い?物語を構築するってそういうことやん、なのだが、肝心の主人公に関する描写の不足感がひっかかる。

①シャブ抜けの大変さ

②母親の呪縛からの離脱の葛藤

③介護職への習熟・適応

主にその3点で足りなさを感じた。多分それぞれ1シーン追加すれば解消できたのではないかと思います。

 

入江悠の視点は、おそらく彼女自身のことよりも、そんな彼女を救うことができない社会のシステムへの疑問・怒りに向けられている。その点で佐藤二朗の刑事個人に依存する救済の在り方の皮肉な顛末は作劇として文句はないし、稲垣の詠嘆は映画としての精一杯の帳尻の付け方。

オリジナルな自身のシナリオで問題提起する彼の着眼と意欲は「ビジランテ」や「AI崩壊」同様に尊敬に値する。

 

でも、ラストの締めもやっぱりひっかかる。今回、女房と一緒に見たのだが、「なんやねん、いっちゃん悪いのは子ども押し付けて逃げた身勝手な女ちゃうんか」という俺の感想に「あんたわからんの?DVから逃げるために仕方なかったんやんか」と言われそうかとは思ったんですが、やはりここもDV男を1シーンでも見せていれば印象は大きく変わったであろう。

 

kenironkun.hatenablog.com

.シビル・ウォー キャプテン・アメリカ

★★★ 2016年5月4日(水) 大阪ステーションシティシネマ
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ヒーロー論は即ちに戦争論にすり替わる危うさを秘めてるなぞとお固いこと言う気もないが、結局は私怨に収束する展開になんじゃ?と思うのだ。CアメリカとWソルジャー絡みの殺陣はマーベル史上最高ランクだが、その他の新参が参戦し単なるバカ騒ぎと化した。(cinemascape)

人魚姫

★★★ 2017年4月22日(土) 新世界国際
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前作「西遊記」にもCG依存が顕現し危うさを感じていたのだが、もうここまで使いまくりでは映画に対する姿勢が怠惰だと感じる。
 
少林サッカー」的な女性の異形性への偏愛と一方で笑いのめす加虐性の混在は復活したが、「カンフー・ハッスル」的な圧倒的殺戮パワーへの畏怖は減衰した。
ババア人魚のパワーがいまいち弱いのだ。
 
冒頭の珍獣館の下品さは好みであり、それを一応終盤で回収してみせたのは気分的に腑に落ちます。
 
西遊記』に感じたCG依存の危うさは加速し映画への姿勢が怠惰に感じる。『少林サッカー』的な女性の異形性への偏愛と笑いのめす加虐性の混在は復活したが、『カンフー・ハッスル』的な圧倒的殺戮パワーへの畏怖は減衰した。ババア人魚がパワー不足なのだ。(cinemascape)

田園に死す

★★★★ 1977年8月14日(日) 毎日ホール
                  1991年6月9日(日)  毎日文化ホール 

 

故郷を棄て母を棄てた思いが、自責や懐旧のセンチメンタリズムではなく分析的且つ冷徹な視線で語られる。一方、イメージは超絶に土着的で猥雑であるが又過剰に絢爛で豊穣なのだ。そのアンビバレンツを逆しまに嘲笑するJ・A・シーザーの音楽も肝。(cinemascape)

祇園囃子

★★★★ 2017年4月22日(土) シネヌーヴォ

女を描くと言うより祇園内部の力学構造と、外部との関係性を解き明かす政治性の高い映画だ。
ただ、根本的に芸妓という職業が木暮や若尾が拘る体を売るという呪縛から解かれていたとは思えないので、そんな綺麗ごと言ったてしゃあないんちゃうんという違和感がある。
差配を取り仕切る浪花千栄子の言い分がもっともだと思えるのだ。
 
まあ、物語構成上のそういった難点に対し溝口は全くドライでクールに対処するので救いがたい情緒的な弱点にはならずにすんでいる。
 
宮川のカメラは完璧といってよいのだが、意外と長回しを排して柔軟な編集リズムを保持している。
 
女を描くと言うより祇園内部の力学構造と外部との関係性を解き明かす政治性が高い。プチ意地っぱりしてみたがやっぱ負けてもうたという身も蓋もなさを顔上げてあんじょう又頑張りまっさで切って捨てる溝口は全くドライ&クール。宮川のカメラも完璧。(cinemascape)

チャレンジャーズ

★★★ 2024年6月10日(月) 大阪ステーションシティシネマ12

ゼンデイヤ見たくて観たのだがどうにも不発な感じです。彼女は制作までして入れ込んでたのに気の毒。

ハイスクールのトッププレイヤーなのだが、どうにもドタ走りの様が、ゼンデイヤ運動音痴なんやと思わせあかんと思う。そもそも俳優がスポーツのトップアスリートを演じる際に、多少トレーニングしたところで本物になれるわけない。そこを演出の手管でらしく見せるわけだが、演出者にスポーツへの造詣がなければ運痴が運痴と飯事遊びの体に陥るのだ。全てはグァダニーノの責任でありゼンデイヤ全然悪くありません。

 

【以下ネタバレです】

彼女と男子ダブルスの2人の何年間かにわたる物語なのだが、将来を嘱望された彼女は骨折事故で将来を断たれてしまう。その彼女がコーチ乃至はトレーナーとして再起をはかる物語かと思ってたら、その経緯はほとんど無い。おそらく撮ってた可能性もあるがカットされたんじゃないやろか。だってグァダニーノの関心は男の子2人にしかないんだから。ゼンデイヤにとっては誤算だったっす。

 

突然炎のごとく」や「明日に向って撃て」や「冒険者たち」みたいな男2人と女1人の映画にとって黄金律とも言える設定のはずが、下手にBL要素を加味したために何だか煮え切らないものになってしまった。グァダニーノには自分を押さえてでも黄金律に殉じて欲しかった。

 

試合シーンで、やたらエモーションを喚起する音楽が使われる。一瞬オオーッ!と思わせるのだがことごとく寸止めである。

 

彼女の再起が前半佳境となる筈なのに割愛されて野郎どもの話にすり替えられる。だから中盤以降ゼンデイヤは何の為に映画に居るのかさえ覚束ない始末。降って湧いたBL要素も半端でどっちやねん。試合はやたら景気いい音楽で一瞬期待させるが悉く寸止め。(cinemascape)

 

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ウンベルトD

★★★★★ 2016年5月5日(木) プラネットスタジオプラス1
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矜持だけは残存するが最早生き抜く術を失した老人に対するデ・シーカのサディスティック視線は冷めた世間の衣を借り十重二十重に炸裂する。それでも愛犬依存な能天気ぶりがブラック。しかし少女の心折れぬ前向きさが対比として絶妙で救い難い物語を緩衝。(cinemascape)