男の痰壺

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太陽

★★★★★ 2021年10月3日(日) シネヌーヴォ

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終戦時の昭和天皇を描いた作品ということで、ある筋からは凄まじい拒否感と場合によっては嫌悪感を表明されることが目に見えている。余程腹の座ったバカが現れない限り日本人の手によっては撮られ得ない種類の映画であったろう。

 

もちろん、終戦間際の御前会議やマッカーサーとの会談など史実の中の天皇をアイコンとして描くことは可能だろうが、天皇と侍従との場などは私人としての天皇を想像で描かないといけない。イッセー尾形は「あ、そう」の口癖やモゴモゴ口跡や着替えの時の所作などカリカチュアと写実の危うい均衡点で切り抜けている。

 

おそらくソクーロフの関心は、人間宣言とそれに相前後する昭和天皇の在り様の変化を描くこと。しかし、外形も内面も何も変わらないようで、あたかも凪の湖面のよう。現御神であるなど自身ももとより思っていないから葛藤など無いし、それこそGHQの要請にも「あ、そう」であったのだろう。

 

変わるのは作り手の描き方だ。私人としての天皇の内面に踏み込まなかった映画はマッカーサーとの会談と人間宣言以降ドライブし始める。好きな水棲生物の研究や、書斎で1人見入る外国女優のブロマイドなど、本当はどういう人であったかをソクーロフは推想する。佳境は疎開していた皇后かおりの帰還。安堵を求めて子供が母にするように胸に頭を預ける。それを見守る作り手の視線は深い共感に満ちている。

 

御前会議のシーンは喜八「日本のいちばん長い日」を参考にしたらしいが、そう聞いてしまうといかにもショボい。東京大空襲の抽象化、焼け跡の鳥瞰CGはソクーロフ的な終末観に充ちている。

 

 ヒトラーを描いた「モレク神」、レーニンを描いた「牡牛座」などと並立する権力者4部作の1つらしいが他は未見。