男の痰壺

映画の感想中心です

ノック 終末の訪問者

★★★ 2023年4月19日(水) TOHOシネマズ梅田4

世界の終焉を静かな郊外でモニター越しに見る。やがてその変異は彼らの元へもやってくるだろう。

このモチーフは「サイン」と同工異曲50歩100歩で、シャマランこの手の題材好きやねんなというか、ネタ切れで同じような事ばかりやっとるわと思うか微妙。

 

まあ、それでも、わけわからん奴らが突然やってきて、信じれるわけない世迷いごとほざいて信じてくれと言う。当初は新手の宗教勧誘と断じて追い返そうとするが逆に拉致られて説得される。この説得・懐柔の過程を延々と見せられる映画だ。そういう意味では限定空間でのワンイシュー劇を手練手管で見せ切るシャマランはやっぱ大したもんだとは思います。

 

【以下ネタバレです】

ただ、シャマランそりゃいくらなんでも無理筋やろの疑義は拭いがたい。要は、訪問者の彼らは世界の終末が来ることを知った。何故にその5人の男女が知らされたのかはまあ良しとします。だが、それを回避するには訪問を受けた田舎に住む親子3人の家族のうち1人を家族自身の手で殺さないといけない、と。もう、これは何でやねんの3段重ねです。

そういう理不尽さをわかった上で無理を通す。理不尽極まりないことを納得させないといけない。そのことが作劇の肝であるにしても、やはり何だか釈然としない。

 

言うてる間に時は迫りパニック然としたトランス状態で事は為される。終末は回避された。その辺の余韻もどうやろかです。これならいっそ事が為されずとも終末は回避されたのバッドエンドの方がしっくり来る。ひねくれた俺はそう思うんです。全てが腑に落ちるバッドエンドであった「ミスト」とかが脳裏をよぎりました。

 

シャマランは人がいいんでしょうね。終末イメージも凡庸でした。

 

理不尽なことを何としてでも呑まさないといけない手練手管が足りないし、事が迫ってからのパニック→トランス過程に溜めがなく性急でコクがない。シャマランは善人で淡白。しかし子供の妄想を大の大人が真剣に形にしようという姿勢に頭が下がる思いだ。(cinemascape)

 

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