男の痰壺

映画の感想中心です

沈黙 サイレンス

★★★ 2017年1月22日(日) MOVIXあまがさき3
イメージ 1
彼がそれを踏む。
映画はその瞬間に全てのエモーションが集約するようには作られていない。
神の在・不在を自問自答し煩悶するということ。
それは、虐殺される多くの島原の隠れ切支丹たちの姿と密接にリンクしてこそ劇的な葛藤を生む。
そこに意識的でないのだ。
 
一方で、未開地に消えた先達を探索する旅路の側面もある。
地獄の黙示録」と相似形。
終盤、あっさりと姿を現したフェレイラは言う。
「彼らの信仰は我々の考えるキリスト教とは違う。」
この論点が明快であるだけに、映画の構造的弱さがさらに露呈されるのだ。
パライソ信奉を若干点描していたにしても。
 
スコセッシは3時間級の大作をものにしたことが無い。
「カジノ」「ギャング・オブ・ニューヨーク」「アビエイター」など全て薄ぼんやりした出来だった。
そういう大局観の無さが今回も現れた。
 
日本勢のキャストは健闘している。
浅野や窪塚や塚本はあれくらいやって当然だが、イッセー尾形の肝の座りの見事さ。
ちょっと往年の植木等を思わせる。
ハン・ソロのヘタレ息子→いけすかないヤングアダルトを経て敬虔な殉教者に行き着いたアダム・ドライバーの振幅の広さにも好感を持った。
 
彼がそれを踏む瞬間にエモーションが集約するようには作られていない。隠れ切支丹の虐殺描写と神不在の自己問答がリンクせず意識的でもないからだ。消えた先達を追う旅路の側面も淡泊。転向述懐が明晰であるだけに構造の脆弱が露呈。日本勢のキャストは健闘。(cinemascape)