男の痰壺

映画の感想中心です

ダンボ

★★★★ 2019年5月9日(木) 大阪ステーションシティシネマ
イメージ 1
ダンボにしようかピカチュウにしようかルンルンルン♪
と、還暦間近の親父の血が騒ぐのであった。
ってのは、嘘に決まってるんで、まあ、言わば究極の選択で見たのであったが…。
意外にイケるかも、これ。
 
まあ、だいたいティム・バートンが肌に合わないっていうか、初期のものはともかく最近のものは見てません。
なんか、見る前からわかってるやんっていうかゲップが出そうで。
 
予告篇はイヤになるくらい見たんですが、1点ひっかかった。
子役の姉弟が姉が黒人の血が入っていて弟が白人、で親爺がコリン・ファレルだ。
俺は、ここ10年くらいの暗黙のコードみたいなのはどうかと思っている。
それは、3人いれば必ず1人は黒人で、5人いれ1人はアジア系かヒスパニック。
まあ、それ入れとけば文句ないでしょう的な胡散臭さがあからさまで、それって映画の本質歪めるやんと思う。
 
そういう建前でなく、物語の本質が希求するレベルで人種の相互侵食はすすんでほしいと思うのである。
これは、ちょっと前に見た「バンブルビー」でヘイリー・スタインフェルドの彼氏が黒人であったのと並んで新たな地平に踏み込んだキャスティングだと思う。
演じているのはタンディ・ニュートンの娘だそううな。
ミッション・インポッシブルの2作目でヒロインを演じた女優である。
 
それはさておき、この映画、ダンボとママ象ジャンボの物語と平並行して、父と子供たち、そして、母をなくした子供たちにとっての新たな母親が現れる物語として精彩をはなっている。
そこらへん、変人ティム・バートンにしては、実にまっとうにこなしていて好感をもった。
っていうか、至福感がはんぱなかった。
そこに子象が母象に甘えてパオーパオパオーが重なり涙腺を崩壊させるのであった。
 
俺はもちろんオリジナルのアニメは見ていない。
しかし、あのスピルバーグの「1941」で大市街戦のさなかに映画館で「ダンボ」を見て嗚咽するおっさん将校の気持ちが初めてわかったのであった。
 
最後にピカチュウを見ない俺の気持ちを10年前に書いた日記が言い当てているので貼り付けておきます。
リアルな世の中
例題1
サトシ  「行けー!ピカチュー!10万ボルトだ」
ピカチュー「ピカー!」
バリバリバリ!ズドーン!ウギャー!
サトシ  「やったー!ゲットだぜ!」

例題2
のび太  「うわーん、ドラえもん、何とかしてよう」
ドラえもん「んもう、しかたないなあ…○○ぅうー」
のび太  「わあ、ありがとう」

俺はサトシとのび太を限りなく憎む男なので、こういう展開を望む。

例題1
サトシ  「行けー!ピカチュー!10万ボルトだ」
ピカチュー「…」
サトシ  「行けー!」
ピカチュー「…」
サトシ  「…」
ピカチュー「…」
サトシ  「何で…ピカチュー…」
ピカチュー「年柄年中、何でワイが行かなならんねん、ガキが…しばいたろか」
サトシ  「ピ…ピカチュー」
ピカチュー「たまには、お前が行って、どつかれまくったらええねん」
サトシ  「ピカ…」
ピカチュー「甘えくさっとるんやないで、ボケ!」
サトシ  「ぼく…死にます」

例題2
のび太  「うわーん、ドラえもん、何とかしてよう」
ドラえもん「…」
のび太  「ドラえもん、お願いだあ」
ドラえもん「大概にさらせよ」
のび太  「えっ…」
ドラえもん「…」
のび太  「…」
ドラえもん「ええかげんアホみたいに年柄年中ワイに頼っとるんやないで」
のび太  「ドラ…」
ドラえもん「大概にさらせよ、ボケ」
のび太  「ぼく…死にます」

ええかげん、こういう展開にしてくれないかなあ…。
 
 

 

バートン色はエッセンスに止まりオリジナルの強度が前面に出る。それは象親子の哀譚と同時に母を亡くした子等が新たな家族を獲得するまでの物語でエヴァの自然体が心地よい信用性を放っている。媚びた嫌らしさもなく『リターンズ』の裏返し配役も妙。(cinemascape)

 

kenironkun.hatenablog.com