男の痰壺

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パリ13区

★★★★★ 2022年5月16日(月) シネリーブル梅田2

冒頭から素晴らしいモノクロの空撮に射られる。監督ジャック・オディアールは「マンハッタン」と「モード家の一夜」にオマージュを捧げたと言っている。直接的な本作への反映があったかはともかく敬意を捧げられる対象としてセンスが窺える。

 

13区がパリでどういうイメージなのかは知らないが古くからの中華移民街と新興の文化施設とハイブロウなスタートアップ企業群が混在するエリアらしい。そこでアフリカ系と台湾系の男女のくっついて離れて又くっついてが描かれる。変容しゆく国家の先端部分での市井の出来事であり優れて文化論的だ。オディアールの前作「ディーパンの戦い」がパリを舞台にしたスリランカ移民の話であったことからも彼の関心が向いてる方向がわかる気がする。

 

先述の男女に加えて、地方から大学に復学してきた女性がいて、多分、彼女は当初の大学に馴染めず休学して地方で就職、そこもうまくいかず復学という典型的な青い鳥症候群。で、再びパリで居場所を失う。この彼女が、ひょんなことからネット上のポルノスターと交流を持つ。この世界でスポイルされた2人はモニター越しに寄り添い合う。やがてリアルワールドでも邂逅するのだろう。

 

2つの挿話は男を軸にシンクロする。いくつかの原作短編を組み合わせて脚色したものらしいが違和感ない流れだ。脚色者に「燃える女の肖像」のセリーヌ・シアマの名がある。原作は日系アメリカ人作家のエイドリアン・トミネ。女性による女性の為のみたいな布陣だが、オディアールにはフェミニズムに与するような視点はない。現在形の都市に於ける普遍的な男女の営為と孤独を慈しむように提示している。暖かみを帯びたモノクロ撮影は必然だったと思わせるのです。

 

伝統的くっついて離れて又くっついての世事ごとと、スポイルされた者の居場所探しが巧妙にリミックスされる。人は色々あっても必ず受け入れられるという確信。古い街は先端施設で上塗りされ移民の末裔は国家の色を塗り替える。優れて文化・都市論的でもある。(cinemascape)

 

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