男の痰壺

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ボーはおそれている

★★★ 2024年2月26日(月) 大阪ステーションシティシネマ12

夢というのは心理の奥底から浮かび上がった断片が未整理なカオスを形成したもので、俺もたまに見た夢のことを書いたり話したりするが、そんなもん他人からしたら、あっそーレベルの大して興味もわかない話なんです。この映画は、アリ・アスターのそれであって、だからあっそーとしか思えない。

 

ボーの住むアパートとその周り→医者夫婦の家→演劇集団のいる森→母親の住んでいた実家、と映画は概ね4章立てで進むが、第1章が1番おもしろくて以下だんだんとつまんなくなっていく。はちゃめちゃで開巻した物語が語るべきことを語ろうとして馬脚を現したということもあるが、その語るべきことが母親への嫌悪と抑圧、乃至は抑圧からきた童貞であることのコンプレックスと見えてくるにつれて底が知れてくるのだ。

 

このようなコンプレックスに対して、一般的には足掻いて打ち勝っていくか、押し潰されて自壊するかのどちらかを物語は選択するものだが、本作は何も抗わずに自我は消滅していく。そんなもの提示した語り部アリ・アスターが初めてかもしれないのだが、そうだとしても、やっぱりあっそーくらいにしか思えないんです。バッドエンドはいいのだけど内向きに過ぎるよ。

 

目眩くパラノイアな被虐ワールドが現出する序盤は有無を言わさぬ展開だが3章あたりから失速して終章ではグダグダになる。母親&童貞コンプレックスとのネタバレが直截に過ぎて底が知れる上に抗うことなく自我が消滅する様はアスターの正気さえ疑わせる。(cinemascape)

 

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