男の痰壺

映画の感想中心です

アド・アストラ

★★★★★ 2019年10月21日(月) 大阪ステーションシティシネマ

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これは一目瞭然なのだが、「地獄の黙示録」かその元ネタの「闇の奥」の劣化版のSFへの置換だと思う。

何故に劣化版かっていうと、まあ大山鳴動して鼠一匹どころかなーんにも出てきませんでしたって話で、かのマーロン・ブランドが「闇だー」と哲学的になんか深淵な世界を提示したのに対して、ここではジョーンズ氏は「なーんにもなかったんだよね」と開き直り「一緒にやろーよ」と息子にすり寄る。

そのくせ、女房も息子も俺は棄てたと突き放したり、まあ、とんでもないテキトー親爺であったという世知ち辛い話なのだ。

 

語り口は内省的でテレンス・マリックを思わせる。

その一方で、もう、初っ端の宇宙電磁波による大事故の件から、陽光下のクリアネスな画作りが瞠目させるのだが、月でのテロリストの襲撃、救助依頼船の惨劇と要所で差し込まれる挿話の描写は悉くシュアで的確である。

と思う。まあ、この映画あんまり評判よくないみたいなので、そのへんどう感じるかは人それぞれだとは思うんですが。

 

俺は、ラストでは「ゼロ・グラビティ」に近いクオリティと感銘を感じた。

映画は何を描くかってのが重要ってことは否定しない。

しかし、作り手が本気で映画によりそって作っているかも見るものに伝播するのである。これは、一見へたれな顛末だし丸っぽエピゴーネンやんけと言われても仕方ない部分でもあるが、本気なのは間違いないし、正確に本質を射ていると思うのだ。

 

監督のジェームズ・グレイの映画は、随分前に見た「裏切者」しか知らないが、直近の「ロストシティZ」なる映画が阿部和重をはじめとした一部で高評価されてることは、未見ながら成るほどと思わせた。

これも、どっか映画館でやってほしいわあ。

 

結果クソ親爺と邂逅するだけの『地獄の黙示録』だが、そんな親でも息子は慕うという大山鳴動鼠0匹のファザコン譚をブラピの無垢性が突き通す。採光に意識的な撮影のクリアネスがエフェクトを際立たせ『2001』と同質の無機無音世界を現出させている。(cinemascape)

 

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