男の痰壺

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獲物の分け前

★★★★ 2023年4月19日(水) シネヌーヴォX

ブリジット・バルドーカトリーヌ・ドヌーヴとたらし込んだ男が何でジェーン・フォンダにいかれてもうたんやろか?の疑問が大いにあるのだが、映画は色々興味深いし悪くない出来であった。

 

19世紀のエミール・ゾラ原作を時代を変えて翻案したものだが、ロジェ・ヴァディムの志向が古典主義的傾向があると思われるので資質に合ったものだったんでしょう。

まあ話としては、若い娘が年寄り親爺の嫁になるが、やっぱ若い男がいいわけで、親爺の息子にいれあげて破綻していく。「郵便配達は二度」とか数限りなく取り上げられてきたモチーフです。

 

【以下ネタバレです】

ヴァディムはサディスティックなまでに主人公の女を叩きのめして堕とす。当時ジェーン・フォンダと新婚ホヤホヤなのによーやるわですが、それも又嫁にとっては女優冥利に尽きるってことなんでしょう。

 

ラスト全てを失った彼女をカメラはトラックダウンしながらズームアップする。この手法をを何て言うのか知らんがヒッチが「めまい」で編み出して数多応用されてる手法で、俺は心理を表出させるのにここまでキマッた使用例を見たことがない。撮影はクロード・ルノワールジャン・ルノワールの甥っ子です。

 

息子のピーター・マッケナリーが中国語を習いに中国人先生のところに通っている。若い2人の不倫旅行も先生の田舎。本作は1966年制作。翌年の67年にゴダールの「中国女」が公開されて68年には五月革命が起こる。当時のフランスの若者たちに浸透し出したマオイズムへの傾倒を写し取っていて興味深い。

 

よくある若妻が老夫に飽き足らずのパターンだが、若い男との華やぎと一転奈落の底への急降下が未だ若いフォンダの瑞々しさと相まりメリハリが効いている。革命前夜に於ける富裕階級の刹那感を底流にヴァディムの描写が堂に入りカメラ使いも随所で粋。(cinemascape)

 

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