男の痰壺

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ジョニー・ベリンダ

★★★★ 2023年2月18日(土) プラネットプラスワン

ジョニーが名前でベリンダが苗字かと思っていたら、映画を見てると主人公の女性の名前がベリンダみたいで、そんならジョニーは何かと思えばベリンダの産んだ子の名前だった。「名前・名前」のタイトルおかしいやないかと思い先輩にその旨言うと疲れた様子で、その質問2回目やと言われた。

「あのなー、何がおかしいねん、ヒロインの名前がベリンダ、その息子がジョニーやないかい、ベリンダとジョニー、ジョニー・ベリンダ、ええやないか」

全く答になっておらず、俺が聞いたことをまんま鸚鵡返しに言ってるだけだったが、その高圧的な自信の前にそれ以上何も言えなかった。

「同じこと聞いてきた奴がこうも言っとったわ。これまるで『ダンサー・イン・ザ・ダーク』やって、俺見てへんけど」

 

なるほど、障がいを持つ不幸な女性が非道な男=子の父親をぶち殺して死刑になりそうになる。その通りやわ思いました。

ただ、1940年代のアメリカ映画はトリアーのような絶対的な絶望を謳わない。聾唖に産まれて、親からもウスノロと揶揄されて教育も受けずに育った野人のようなベリンダは、外からやって来た医師に手話を習い教育を受けてみるみる知性を獲得していく。それにつれて薄汚かった彼女は、どんどん綺麗になっていく。「マイ・フェア・レディ」みたいなもんで、こういうのは女優冥利に尽きるんでしよう。演じるジェーン・ワイマンは念願のアカデミー主演女優賞を獲得しました。ほんま可愛いっす、ジェーン・ワイマン

 

彼女の親爺をチャールズ・ビッグフォード。後に「大いなる西部」の頑固な守旧派の牧場主を演る人だが、彼も変貌する我が娘によって無くしていた父性愛を呼び覚まされる。そういった設定が救いのない物語の刺々しさを緩衝してくれる。ビッグフォードも好演でした。

 

後年トリアーが語るサディスティック譚と基底は似てるが40年代は未だ寛容の時代で人の心も暖かい。父も叔母も彼女の味方であること吝かではないし無骨なビッグフォードの佇まいがそれを担保する。緩い『奇跡の人』を補うワイマンのキュートさ。(cinemascape)

 

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