男の痰壺

映画の感想中心です

痴人の愛

★★★ 2019年11月23日(土) プラネットスタジオプラス1

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谷崎の作品ではなくサマセット・モームの「人間の絆」の映画化作であり、なんでも日本公開の10年ほど前に谷崎作品が新聞連載され好評を博したとこから、配給会社がいただいて邦題にしたんだそうな。

モームの原作は長大なもので、本作のベティ・デイヴィス演じたミルドレッドは部分的にしか出てこない。(と、Tセンセーが仰ってました。)

 

とにかく、ベティ・デイヴィスの一大ブレイク作で、徹頭徹尾のゲス女を演じております。俺が学生の頃、「ベティ・デイヴィスの瞳」なる歌が流行っていたのを思い出し、いったいどんな瞳やねんと思って見てましたが、どうも大した瞳やないやんけと思いました。

彼女が最大ライバル視していたジョーン・クロフォードの「雨」を先般見たが、クロフォードの目玉お化け然とした強烈さが印象に残っていて霞んだのかもしれません。いずれにせよ、この時代はお目目パチクリ美女がもてはやされたんですな。

今では、エマ・ストーンぐらいしか目玉美女は思いうかびません。

 

悪女に裏切られ続ける男の物語であるのだが、痴人っていうのとは若干違っていて、主人公の足の病へのコンプレックスが根っこにあるらしいのに、映画はそこに寄せて心情描写をしないので、バカさ加減だけうかびあがって、ええかげんにせえやとイライラします。

 

監督のジョン・クロムウェルは名バイプレイヤーのジェームズ・クロムウェルの親父さんらしいが、いまいちだと思いました。

人物真正面からのバストショットを多用するのだが、つながりが良くなくってギクシャク感があります。

 

切られ許し利用され諦めるを繰り返す流れは、起因するコンプレックスを掘り下げないのでバカの愛にしかならない。足が治って目が覚めた彼の栄華の片隅でボロ屑のように朽ち果てるベティの生き様こそ語られるべき物語。クロムウェル演出も陳腐だ。(cinemascape)

 

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