男の痰壺

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風の歌を聴け

★★★★ 2023年3月15日(水) シネヌーヴォ

村上春樹の小説は幾つか映画化されているが、その内向するモラトリアムな世界観と映画を叙述する散文的文体が適合した点に於いて、良いか悪いかは別として随一だと思う。それは多分に若気の至り的青臭さを纏っているし、舌足らずとも思えるので好悪の別れるところだろうが、俺は好きです。

 

モヤモヤした何かの鬱積をフィルムに叩きつけたい。シネフィル若僧の思いを作品として結実することができた大森一樹は幸福であった。そういう意味で本作は前年の「ヒポクラテスたち」とパッケージで語られるべきものかもしれない。この後、彼は吉川晃司のアクション3部作を経てふやけた商業映画作家になってしまう。

 

東京で暮らす主人公である「僕」が帰阪した折りに再会した友人「鼠」と、偶然に知り合った「四本指の女」についての物語だが、それと等量に「僕」が過去に付き合った女たちの話が併存している。それらは相関して何かを紡ぐこともない。散文的に絡み合ってるだけ。だけど、そこから濃厚に浮かび上がるものがあります。モラトリアムの終焉。「何かが終わっていく」という感覚です。

多用されるストップモーションが、時の流れを鎮魂のように印象深い。

 

1981年の作で、そのとき大森一樹29歳、小説はその2年前の1979年発刊、村上春樹30歳のデビュー作。2人とも正に何かが終わっていくのを肌身で感じていたのだろう。

 

村上春樹の内向する世界観と大森一樹の映画を叙述する散文的文体が適合した点に於いて良いか悪いかは別として随一だと思う。多用されるストップモーションが時の流れを鎮魂するかのように印象深い。「何かが終わっていく」という感覚の永遠なる刻印。(cinemascape)

 

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