男の痰壺

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怪物

★★★★ 2023年6月4日(日) MOVIXあまがさき11

カンヌでの脚本賞受賞の降って湧いた感の正体は又ぞろの多様性ポリコレかよと、幽霊の正体見たり枯れ尾花。でも、それは授賞の背景のことで、作品自体の評価とは又別ものの筈である。

 

どうも、この脚本、テーマ以前に構成に問題がありゃせんかと思うのだが、そこはそれ是枝の演出力は強引にもっていかせるだけのものがあるのでねじ伏せられる。

 

【以下ネタバレです】

もはや何の新鮮味もない「羅生門」叙法が採られている。子どもがイジメにあってるんじゃないかと疑う母親の視点と、担任の教師の視点で物語が反復される。

母親視点のパートでは、担任や校長はオーバーディレクションじゃないかと思われるほどに愚物でカス人間で、それなら担任視点のパートで母親はもっとモンスターペアレントとして描かれないとバランスを欠くし、そもそもにそんなオーバーアクトはわざとらしいし必要ないんじゃないのか。

謂くありげな人物の描き込み不足も気になる。田中裕子の校長と少年の父の中村獅童は背景が余りにスカスカで心情に加担できない。脚本の怠慢じゃないんだろうか。是枝も余白を埋め切れていない。

 

そういう半端さを露呈しつつも、それでもなんらかの心に沁みるものを感じたのは、終盤から大きくドライブしていく展開の切ないまでの孤絶と愛のドラマトゥルギーの衒いの無さと覚悟だと思う。時代はもうそこまで来てるのかの感慨。そう考えるとカンヌでの授賞をあんまりヒネた目で見ちゃいかんなと自戒するのであった。

 

冒頭のビル火災のCGの達成度や、消防車が行き来する夜の街の鳥瞰ショットのクリアネス。貧乏臭い映画も好きだけど、こういう金と手間をかけた仕事はやっぱええなと思わされます。

 

前段の誰が加害者で被害者なのかを問う羅生門叙法が後段の展開に全く寄与しないし、過度に恣意的なキャラ変や掴みきれない底浅キャラたち。そのプラスチックなワールドから2人だけの真実の世界へと全ては放逐されて飛翔する。帳尻なんて最早どうでもいい。(cinemascape)

 

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