経済について最近の政治家やメディアがほざく二つの事柄 |
①「消費税上げを提唱することは財務省官僚に与したと同義」 週刊誌でよく見られる論調であるが、官僚打破を謳った民主党が官僚組織に敗北したという風に語られる。 確かに、今の民主党の面子を見たって、理論武装がある程度ある奴は組織を平伏させる人間力が無く、若干でも人間力がありそうな奴はノータリンな感じがするので、財務省あたりを組み伏せてブッタ斬るみたいな芸当は出来ないだろう。 しかし、財政改革とそれとは話が違うのだ。 俺は、望みたいね。 財務省の小役人の半分の首と交換で消費税を大増税する根性がある男の登場を。 そして、国会議事堂の前で腹を切って自決するんだよ、そいつは。 ②「環境・介護は成長分野で、ここをテコ入れすることで日本経済は復興する」 日本が、この半世紀で怒涛の経済成長を遂げた牽引力は輸出であった。 車や家電製品を海外に売りまくったお陰だったのだ。 で、車や家電製品っていうのは一種の快楽追及型商品なのだ。 介護で、どうやって経済復興が達成できると思う? ヘルパーを大量に育てて金持ち中国人年寄りの世話に出稼ぎに行って人民元を稼ぎますか? 施設や教育で多少の内需を喚起したって、人間は携帯やゲームには借金してでも金を注ぎ込むけど、親の介護にはそうはしない。 悲しいけど、これが今の日本なのだ。 ワールドカップで日本がデンマークに勝ったことに俺は浮かれる気がしない。 何故なら、セットプレーでの得点だから。 セットプレーというのは敵失待ちのプレーです。 敵を力と技術で突破しスペースに走り込む。 そういう勝ち方でしか日本は生き残ることはできない。 サッカーもだが、日本経済も。 |
2010年6月28日 (月)
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映画館主義的快楽とは |
1年ほど前だろうか。 シネスケのN先輩と飲んでる席で「なんで、キム・ギドク見ないん?」 と聞かれたことがある。 「いやあ、巡りあわせっすかね。見たくないわけじゃないんですが…ギドクだけやなくて、アレクサンドル・ソクーロフもジャ・ジャンクーも見てませんなあ、そう言われてみりゃあ」 そう言われてみるまでもなく、考えればなんぼでも1本も見てない映画監督なんているわけで、ドゥシャン・マカヴェイエフもアラン・タネールもダグラス・サークもダニエル・シュミットもマルコ・ベレッキオも…と延々と続くのである。 先週の土曜日。 キム・ギドクの「絶対の愛」が天六ユウラク座でかかるので見に行こうと思った。 3時の回までの時間を新世界の映画館で何か見ることにした。 新世界国際劇場では「バレンタインデー」「Dr.パルナサスの鏡」「チェイサー」の3本立て。 日劇東映では「ごろつき」「関東やくざ者」の2本立て。 トビタシネマでは「フロスト×ニクソン」「カンフー・ダンク!」「ファイナル・レジェンド 呪われたソロモン」の3本立て。 飛田東映では「極道記者」「男はつらいよ 浪花の恋の寅次郎」「博奕打ち」の3本立て。 これらのうち半分くらいは見たことがある。 観たいと思ったのが「フロスト×ニクソン」と「ごろつき」だったが、結局観たのは「バレンタインデー」と「極道記者」なのであった。 3時のギドク「絶対の愛」に合わせた時間配分でそうなった。 で、俺はこういうセレクトの仕方が好きなのだ。 偶然の流れに身を任せ…ってなわけでして、ポイントヒットなセレクトばかりだとしんどくなりそうで嫌だし、世界観も偏狭になりそうだ。 今時、映画館でしか映画を観ないってのも何かなあ…って感じだし、こうもデジタルビデオで撮ったものをフィルムに焼いた代物の横行や、上映システム自体がデジタル化されてくると、フィルム至上主義的言説に依拠する劇場主義な言い訳は通じにくい。 受動的な偶発によってこそ獲得し得る横断性。 これやね!…ってことにしとこう。 だから、死ぬまでに観たい未見の多くの映画があるけど観れない可能性が高い。 それでもいいような気がする。 |
2010年4月28日 (水)
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