男の痰壺

映画の感想中心です

過去日記 2012

三島由紀夫と便
※注 又も便に関する話だから、食事中の方は読まないで下さい。

前にも書いたとおり便通がいい俺なのだが、ごくたまにそうでもないときもある。
どうにも、出が悪く、顔を真っ赤にしてうんうん言っても完全に出切った感がない。
半端を好まない俺だが、かといって何時までも便座に座ってるわけにもいかず、やむを得ず一念発起しペーパーで拭き取り作業にかかるのであるが、所詮は出切ったわけではないので、肛門近くの直腸あたりに残留物質の先端でもあるのか、拭いても拭いてもペーパーにはウン筋が付着し、2~3回が5~6回に、やがて10回を超えるころには、切れた肛門から噴出した血液までもがペーパーに付着しだす。
で、その頃である。
降って湧いた天啓の如くに、俄かに直腸が蠕動運動を開始し、一気に残留 物質がニョロニョロと放出されるのだ。
そして、膨大なペーパーを費やし、出血にまで至った作業を最初からやり直さねばならなくなる。

そういうとき、俺は10数年前の或る場面を思い出す。
俺の子供が赤ちゃんだったころ。
育児作業を好まない俺だったが、それでも多少は好きだった作業が2つあった。
1つは、ミルクを飲ませた子供にゲップをさせる作業で、担ぎ上げた子供の背中をさすったり軽くたたいたりしてると、「ゲプッ」とゲップをするのだが、実に目的達成感を得られる作業だった。
で、もう1つが、ウンチがしぶってぐずってる子供のオムツを脱がせて、オリーブオイルを含ませた綿棒で肛門付近をさすって刺激を与える作業なのだが、そうすることで、実に面白いくらいに便がニョロニョロ出てくるのである。明確な目的意識を伴った行為が達成される充実感があった。

そして、現在。
俺は愕然とする。
綿棒とトイレットペーパーの違いはあれ肛門括約筋を刺激されて便を出す俺は…。
幼児帰りというワードが俺の脳裏に浮かんだ。
人は歳経るにつれ子供から赤ちゃんに戻るそうな。

そんな気持ち悪いこと、俺は断じて拒否します。
ああ、オムツするくらいなら、三島由紀夫のように自ら我が命、立派に絶ってみせましょうぞ。
ガーハッハッハ!
プリッ…
プリプリッ…
ブリブリ…

さようなら。
2012年6月16日 (土)
金環蝕と便
※注 便に関する話だから、食事中の方は読まないで下さい。

俺は便通が良い。
朝起きて、食事をする前に出るし、場合によっては食後にも、もう1回出る。そのあと、仕事先に行っても出ることもある。
便通があれば、爽快だし、きっちり出ると達成感も感じる。
例えば、女房などが何日も出ていないなんて話を聞くと、あり得なく思い、その想像し得る不快に眩暈さえ覚える。

だが、最近気づいたのだ。
便通が良い=肛門が緩い
であることに。
ある朝、勤務先で便意を感じ、俺は一種の心地良い緊張と余裕で、その便意が更に切迫するのを待っていた。
ギリギリまで待ってトイレに行く方が出るときの爽快度が飛躍的に高まるからなのだし、毎度そうしてるわけだから、そのタイミング的頃合も、俺は熟知している筈なのだった。
が、いざ限界ちょい前でトイレに行った俺は、ズボンを下ろす途中で、あっけなくパンツの中にお漏らししてしまったのだ。
「えっ…」と思った。
一瞬何が俺に起こったのか理解できなかった。
俺の瞳は夢遊病者のように目の前の壁とパンツの中の物体とを往還する。
やがて、事態を理解した俺は、おそるおそるズボンとパンツを脱ぎ、そのホカホカしたものをこぼれないように注意しながら包み込みトイレットペーパーでぐるぐる巻きにした。
ノーパン状態でズボンをはき事務所に戻り、ペーパー巻き物体を更にビニール袋とかで何重にも包み、俺はコンビにに行ってそれをポイしてニューパンツを買った。

先月、脳梗塞以降に経過診療で通ってる医者に、このまま体重が減らないのなら薬を増やすぞと脅され、絶対に痩せますと言って帰って以降、1年365日まず酒を飲まない日がない日常を改めると宣言し、実際に週2,3日は飲まないようにしてみたら、異変が生じた。
便通がものすごく悪くなってしまったのだ。
硬度が高まりコロコロ状態で、しかも出切った感がない。

便通がいいと、心密かに喜んでいた俺だが、要は酒浸り生活の結果だったのである。
その後、体重も全然減らないし、女房から不機嫌な面されて辛気臭いから飲んでくれと懇願され、また毎日飲むようになってしまった。
そして、便通も戻ってきた。

先日、金環日蝕の朝、空を見上げながら句をひねった。

翳り行く日々の移ろい我が人生
オムツをする日も遠からじかな。
2012年5月26日 (土)
マインドコントロール
何ヶ月か前のことだが、マインドコントロールという言葉が世間を賑わせた頃、俺は会社の女の子と、そのことをネタに話していた。

「そう言えば、こないだ、ネットの映画サイトで知り合った人らと飲んだんやんか」
「うん」
「野郎ばっか4人で飲んでんけど、1人だけ初めて飲んだ人がおってん」
「うん」
「若い男の子やってんけど、その人にな、飲みだして大分たったころ、俺聞いてん…今年見た映画で何が1番やった?って」
「うん」
「そしたらな、しばし考え込んで、こう言ってん。『歪み』かな、って…俺、考え込んでもうてな…俺の知らん韓国映画か何かかなって」
「…」
「で、俺の向いの人が、こう言わはってんやんか…『あなたもあれ評価してはったよね』って」
「…」
「えっ?ってなもんでさ…そしたら、横に座ってた人がこう言ってん…『俺、園子温ってダメなんですよ』って」
「…」
「それって、もしかして『ヒミズ』のことかって思ってんけど、皆が皆『ヒズミ』って言ってるもんやから、俺言い出せなくてさ、『あーヒズミ!あれ俺も好き』とか言ってさ、で、心の中で『もしかして、俺ずーっと間違えてた?』とか思ってしまってんやんか」
「…」
「で、帰ってから確認したら、やっぱ『ヒミズ』やってん」
「…」
「これって一種のマインドコントロール…に近い?…かなって」
「知らんわ」

マスコミは、どうでもいいオセロ中島のことは、いっとき狂騒的に報道したが、もう1人のマインドコントロールされてるおっさんのことは言わない。
これさえやれれば、辞めてもいいとかぬかしてる現総理大臣のことだ。
俺は消費税を上げることが良いとか悪いとか言うつもりはない。
むしろ、進退をかけるほど大層なことではないことに気づかないバカさにうんざりする。
そんなもん、上げても上げなくても、日本は何も変わらない。
ここ20年でやってきた政策の焼き直しで直せるほど病巣は甘くはないのだ。
2012年4月16日 (月)
デジタル時代の詠嘆
先日、十三の映画館にモンテ・ヘルマンの映画を観に行った。
23年ぶりの新作だという「果てなき路」という映画と、彼がかつて撮った伝説化されつつある「断絶」という1971年作を続けて観た。

正直、その日、俺は睡眠不足なのに、朝から梅田の映画館で「ドライヴ」と「KOTOKO」を梯子しており、相当に疲れていた。
上映前のロビーで、飄々と歩くM君を見つけて背中を叩いてやった。
M君は「なんやねん」という顔で、振り向き俺をじーっと見る。
「わからんのか、おんどれは」
「ん?…えっ…あっ…」
「俺や」
「いやあ、なんや…めっちゃ歳くったなあ」
M君は、俺の学生時代の後輩で、その映画館の支配人をしているのだ。
多分10年以上は会ってなかった。
(その映画館にはけっこう行ってるのだが)

俺たちは、ロビーの椅子に腰かけた。
「で、どうやねん『果てなき路』は」
「えっ」
「眠くならんか」
「どうやろね、体調悪いん?」
「うん…朝からずっと映画観ててしんどい」
「だと、ちょっとキツいかも」
「そうか」
「何見はったんです」
「『ドライヴ』と『KOTOKO』」
「『KOTOKO』入ってました?」
「いや、3分の1くらいかな…初日の初回にしてはあかんね…で、『断絶』はどや」
「うーん、そりゃ、まあ、やっぱニューシネマ全盛の頃にスルーされたんも、さもありなんですかね、いや俺は好きなんですけどね…GTOの黄色がめっちゃきれいやし」
「GTO?」
「車ですわ」
「ふーん」

で、映画の内容はさておき、2本を何とか観終わって、あらためて思った。
「デジタル上映が、このまま蔓延していくなら、俺は映画を観るのをいつかやめるかもしれん」

「果てなき路」はデジタル上映だったのだが、「断絶」は35ミリニュープリントフィルム上映だった。
ピンで各々別個に観たら、そこまで感じなかったかもしれんが、続けて観ればやっぱり悪いけど、スクリーンから匂い立つ芳香が雲泥の差なのだよ。
ほんまに、GTOの黄色はめっちゃきれいだった。

美しきものが捨て去られていくのは、今更なことでもなく歴史の不可避な帰結だとしても、俺は悶絶しそうな絶望を感じる。
そして、脈絡もなく詠嘆するのだ。

「誰か俺に一生使っても使い切れんほどの銭をよこしやがれ!」
2012年4月13日 (金)
机上の空論
昨年の暮れも押し迫った30日。
俺は頼みごとがあって、先輩と会って飲んでいた。
「いや、ちょっとね、最近ショックやってんやんか」
「何が」
「こないだ、カミさんと下の子と3人で『ミッション・インポッシブル』シネコンに見に行ったんですけどね」
「ああ」
「チケット買うときにさ、俺が何も言わんうちに『50割でいいですか』やって」
「ああ」
「どう思います?」
「えっ?」
「俺って50に見えますか?やっぱ」
「…」
「て言うか、俺らお互い50になったって信じられます」
「うん…確かに」
「しみじみ辛いもんありません?」
「うん」
「…」
「で、夫婦50割って俺ら使えるんや」
「2人で2000円は、ちょっと魅力ですよ」
「それって、何か証明要るん」
「いや、俺の行ったシネコンでは何も言われませんでした」
「ふーん」
「何考えてますん」
「…」
「何かちょっとした武器持った気してるんちゃいますん」
「いや…」
「使えないですよ」
「何で」
「だって、誘われた女の子にしてみりゃあ、1800円にせよ1000円にせよ、どっちみち俺らが出すんやから関係ありませんやん」
「…」
「むしろ、夫婦ってところにウザさを感じるみたいですよ」
「…そっか」
「そうなんですよ」
「使えんな」
「使えません…でも俺ら男はその夫婦ってのにちょっときめくんですよ」
「ときめくよな」

実は俺は数ヶ月前に、この武器を何も考えずに使ったことがあった。
それで何の効果も無いことを身をもって知っていたのだ。
こういうのを机上の空論と言う。

今、消費税を上げる上げないという、どうでもいい話で政治は低迷しているが、景気回復が先という反対派の論理に俺は不快感を覚える。
何故なら、それを唱える彼らに景気回復策の具体的な妙案が皆無だから。
消費税を上げようが上げまいが景気は回復しないし税収は減り続けるだろう。
机上の空論が日本に蔓延している。
2012年1月14日 (土)