男の痰壺

映画の感想中心です

凪待ち

★★★★★ 2019年7月12日(金) TOHOシネマズ梅田5
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白石和彌のことを俺は基本的に買っているのだが、売れっ子監督になってバカスカ撮ってダメになるんじゃないかと懸念している。
これは、そういった彼の作品のなかでも、何か傑出したものではないかもしれないが、何から何までしっくりきた作品であった。
少なくとも、俺には。
 
主人公の抱える人生を負の方向に向かわせる何かってのが、「ギャンブル依存症」ってことで、あまりに解りやすいに過ぎて単視眼的ではある。
しかも、やっちゃいけないとわかっててもギャンブルの虫がうずく。
ってのを毎回、カメラを90度傾けることで表現ってのが、おいおいって感じで、もうちょっとスマートにやれんのかいなとも思うのであったが、そんな細かいこと、言わせとけっていう図太さを感じた。
 
【以下ネタバレです】
ダメな俺に、それでも好いてついてきてくれる女がいて、それじゃいかんと思いながら彼女の好意に甘えて更にダメになっていく俺ってのがいて、それが、あろうことか俺のせいで彼女を死なせてしまって、もはや、泣いても悔やんでもどうしようもなく、生きてる価値もないダメ男である自分に対して自己嫌悪の塊と化して逃げるようにまたも依存の世界にはまっていく。
 
いろんな依存症を描いた映画はやまほどあるが、堕ちていくのに、こういう具体的な行路を誂えた映画って嫌いになれない。
なぜかというと、俺自身がダメ人間だからだと思うのだ。
 
映画は、安易な救済とか再生とかを提示しないが、それでも、必要としてくれる人たちがいる。
そういう仄かな一抹の光のようなものを提示して終わる。
 
全篇を遍く覆う居た堪れなさが日常をマイナス転化させるインケツ連鎖。何の言い訳もできぬダメ男に寄り添うほど映画の視点は甘くはないが、それでも彼を必要としてくれる人はいるのだ。正念場の審議が覆る展開も90度傾斜のカメラもベタを確信的に押し通す。(cinemascape)