男の痰壺

映画の感想中心です

スリー・ビルボード

★★★★★ 2018年2月2日(金) TOHOシネマズ梅田9
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【ネタバレです】
 
監督のマーティン・マクドナーは本作の脚本を書くとき、フランシス・マクドーマンドサム・ロックウェルに関しては当て書きしたそうだ。
しかし、この映画のキモはやっぱりウディ・ハレルソンだと思う。
もし、彼がこの役を演らなかったら、映画は相当に違う様相を呈したであろう。
 
ここ数年で見た「ファーナス」とか「ある決闘」とかでのハレルソンの映画でのイメージはヤバすぎるくらいヤバい奴だった。「スウィート17モンスター」は例外中の例外なのだ。
であるから、マクドーマンドを訪ねた彼が、至極まっとうなことしか言わなくても不穏の前兆としか見えない。
中盤で馬屋から出てきた彼が銃を取出し覆面をかぶったときにも、いよいよ本性を出してKKKよろしくマクドーマンドをぶち殺しに行くのだな…と俺は思った。
ところが、彼は引き鉄を引き弾をを自らの脳天にぶち込んだ。
 
こういうショックは多分、ずいぶん昔の映画だが、「エクゼクティブ・デシジョン」のj序盤でスティーブン・セガールが飛行機から虚空に消えてしまったとき以来。
キャスティングによるミスリードの成功例だろう。
ハレルソンが退場し以降ロックウェルが浮上する作劇も鮮やかだ。
 
全篇、不穏な空気が充満している。
しかし、その果てから浮かび上がるのは、信頼とか慈愛とか正義とか我々が蔑ろにしつつあるものなのだ。
この価値観のコペルニクス的転倒も鮮やか。
 
タイトルは3枚の看板だが3通の遺書でもよかった。
それくらい思いやりとウィットに富んだ文章であった。
俺もあんな遺書を残して死にたいと思った。
 
全篇を遍く覆う不穏な空気をキャスティングの妙が完璧にミスリードするのだが、その果てから予想外の信義則が表出する。利己主義に蹂躙された世界が向かうべき理想郷。マクドナーが心を篭めて書いた3通の書簡こそ真髄だし託されたハレルソンも絶妙。(cinemascape)