男の痰壺

映画の感想中心です

仁義の桶狭間 植岡喜晴アーカイブ計画

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先般プラネットに行った際に上記のチラシを渡され「お前もうやったんやろな」と言われた。クラウドファンディングへの出資のことである。

 

俺が大学に入学した1980年、映研で植岡さんの自主映画「WONDER WALL」がスゲーから見ろと先輩達の口端に頻繁に上がっていた。当時の日本映画界は撮影所システムが崩壊し8ミリ映画を撮っていた同人に門戸を開き始める黎明期だった。先達者である大森一樹石井聰亙に続けの気運は関西でも沸き起こり、その最右翼が植岡さんと一瀬隆重氏だったんじゃないかと思います。

でも俺は一瀬氏の撮った「ウルトラQ No.29 闇が来る」は学内上映で見たが「WONDERWALL」は終ぞ見ることがなかった。間もなくして一瀬氏の大作「理想郷伝説」が学内上映され、それは見たのだが、植岡さんの大作「夢で逢いましょう」がSABホールで鳴り物入りで公開された際には見逃してしまったのであった。

 

T氏には「いやー、俺、植岡さんの映画1本も見てない人間ですからね」とは言ったものの、内心では氏の奥様であらせられるMさんには義理があると勝手に思ってて、仁義は果たさねばならないと心に秘するものがあるのであった。

 

「今度、元町で植岡さんの映画やるから見に行けや」とチラシを渡されて迎えた日曜日、プラネットでアルドリッチの「ワイルド・アパッチ」もやってるやん、こっちも行かないと仁義に悖る。悩ましいわーどうしようと煩悶する俺。

女房は都合よく前日から腰を痛めていて条件は整っていた。よっしゃーと気合いの入る俺であったが、昼前になって、なんかむしゃくしゃするから映画行きたいと言い出した。腰痛いのにやめとけばと言ったものの、じゃああんたはどうするんと返され口籠るしかなかった。

結局、女房希望の「カラダ探し」なるホラーを近所のシネコンへ渋々見に行ったのだが、驚いたことに公開から日が経ってるにも関わらず満席で入れなかった。なんやねんガキどもがワンサカ来やがってと憤慨したものの諦めるしかなかったのである。せっかく来たんやからと別の映画に入ったが、こっちはガラガラで心に隙間風が吹きこんできた。

 

帰りの電車の中で仁義の狭間でのたうつ俺は鶴田浩二が憑依したかのような沈鬱で哀しげな表情に打ち沈むのであった。

 

で、肝心のクラウドファンディングはどうなったんかって?

いやあ、まだやってません。でも、必ずします、多分。