男の痰壺

映画の感想中心です

過去日記 2010③

映画2010
今年、映画館で観た映画が119本。しかし、転勤を機に状況は変わった。
1~6月が78本、7~12月が41本であり、来年度の100本超えはまず不可能であろう。
俺の黄金時代は終焉した。次の黄金時代の到来は周期説から言うとアラウンド還暦。生きてるか疑問だ。

例によってシネスケの自己採点上位を列挙すると
邦画★5
ボーイズ・オン・ザ・ラン」「パレード」「春との旅」「ヒーローショー」「告白」「孤高のメス」「ノルウェイの森
邦画★4
今度は愛妻家」「イエローキッド」「花のあと」「フリージア 極道の墓場」「博奕打ち 一匹竜」「瞼の母」「座頭市 THE LAST」「川の底からこんにちは」「必死剣鳥刺し」「エンドレス・ワルツ」「キャタピラー」「十三人の刺客」「悪人」「乱暴と待機」「行きずりの街」
洋画★5
かいじゅうたちのいるところ」「4ヶ月、3週と2日」「バッド・ルーテナント」「友だちの恋人」「パリのランデブー」「美しき結婚」「シャッターアイランド」「プレシャス」「エンター・ザ・ボイド」「ローラーガールズ・ダイアリー」「ブルーノ」「しあわせの隠れ場所」「パリ、20区 僕たちのクラス」「BIRD★SHT」「ブロンド少女は過激に美しく」「キック・アス
洋画★4
アバター」「(500)日のサマー」「赤と黒」「誰がため」「恋するベーカリー」「幸せの1ページ」「フローズン・リバー」「パイレーツ・ロック」「満月の夜」「ウディ・アレンの夢と犯罪」「エスター」「Dr.パルナサスの鏡」「息もできない」「絶対の愛」「月に囚われた男」「17歳の肖像」「パラノーマル・アクティビティ」「闇の列車、光の旅」「ジェニファーズ・ボディ」「狼の死刑宣告」「エクリプス トワイライト・サーガ」「KISS&KILL キス&キル」「白いリボン

で、マイベストは
邦画「ヒーローショー」
洋画「エンター・ザ・ボイド

6月に「春との旅」を皮切りに「ヒーローショー」「告白」「孤高のメス」と立て続けに観賞し、その4本が同時にスクリーンにかかっている状況は、邦画に何らかの地殻変動が起こっているのかとさえ思わせたものだが、悲しいかなブラフであった。年後半は決定打に欠き、結局は帳尻を合わせた格好となった。
で、ベストは文句なく「ヒーローショー」だ。これは小手先の状況ではなく時代を俯瞰的な総体で捉えようとする稀有なる試みが達成された逸品であり、どこかで形成された過剰なアンチ井筒イズムが正統な評価を阻むのであれば、俺はそういう風土を忌むべきものと考える。
次点は強固な作家性が商業主義と幸福にマッチングした「春との旅」「告白」であり、一方で「悪人」は力作ではあるが抽出すべきものへの明確な意思が作り手に感じられなかった。
洋画は、正直、旧作のアルトマン「BIRD★SHT」やロメール「美しき結婚」などに勝る新作は無かった。
ヘツツォークやオリヴェイラといった変骨爺いの奮闘には惹かれたし、米アカデミー戦線に名を連ねた幾本かの映画も水準以上であったが、どれも決定的に他を凌駕する破壊力はもち得なかった。
むしろ、システムの外からの破壊を試みる作品に俺は惹かれる。
エンター・ザ・ボイド」「ブルーノ」「パリ、20区 僕たちのクラス」とかがそういう映画であったが、「エンター・ザ・ボイド」の異様なまでの徹底ぶりには好悪の感情を超越し素直に参りましたと平伏す以外にどのような対応も俺にはできない。変質的力業の稀有なる結実だった。
2010年12月30日 (木)
めくるめく想念
世間は天皇誕生日だとかで天皇に何の関心もない連中まで便乗して休んでやがるのだが、俺はお仕事に勤しまないといけなく、祝日の朝っぱらから大阪は北の兎我野町から太融寺界隈を徘徊していたのだが、でこの界隈と扇町通りを挟んで北側の堂山町、神野町あたりが北有数の風俗&ラブホ街なのであって、午前10時だというのに男と女のカップルがイナゴの群れか雲霞の如くにあっちでもこちでも歩いてやがるのが鬱陶しく、どうみたってまともなカップルなはずもなく、出会い系なのだろうが、にしてもギャル然とした娘と親爺の取り合わせならまだしも、ナチュラルメイクの普通系女の子と普通に充分モテるであろう若い男たちが、こういう風にしか性処理できない今の世の中ってなんなん!と1人憤り、また早く生まれておいてよかったと安堵もしつつ、世間の女たちよ年収200万の男とでも結婚しろよ、苦労もまた楽しからずや愛さえあればなぞと思うというのは嘘で、こいつら朝っぱらからうらやましいぜ、仕事なんかアホらしゅうてやってられっかと映画館でフテてやるぜと茶屋町に「キック・アス」を見に行ったら満席とやらで入れず、仕方なく横の国内最大規模をうたって先日オープンしたジュンク堂書店に入ってみて、映画本コーナーに行き阿部和重の「映画覚書」を手に取ったのだが、映画評なら同じ阿部で阿部嘉昭も好きやなと意味なく1人ごちつつパラパラとめくってみればカーペンターの「ゴースト・オブ・マーズ」が空前の傑作だなどと書いてあり、これは一種の踏み絵映画であり、俺はそれを踏めなかった落後者なのだと暗澹たる気分にひたりつつ、数年前に居酒屋でKとHというシネスケコメテの踏み絵を踏めた2人を前に「ゴースト・オブ・マース」について延々と語らった末結局何が良いのかわからない自分を被虐的に貶めつつ飲んだ焼酎ロックのやるせなさも又愛しく、当時はシネスケも1日新規コメントが20ページ超えたもんだぜと虚しく思いつつも、明日はクリスマスイヴなんだぜベイビー!あの娘と仲良くお手手つないでくぐる太融寺のラブホの入り口も又見果てぬ夢かな。
2010年12月23日 (木)
村上コンプレックス
1980年。
俺が通っていた大学の正門前の喫茶店で映画のロケが行われた。
前年「ヒポクラテスたち」がキネ旬ベストテンで3位となり、「10年以上映画を撮ってなかった清順(ツィゴイネルワイゼン)と黒澤(影武者)が撮らなかったら俺が1位やったんや!」と調子に乗る大森一樹の新作。
同じ兵庫県西宮で育った同時代の作家の小説の映画化。
タイトルは「風の歌を聴け
著作者は村上春樹

凡作を連打し映画が撮れなくなった映画監督。
ノーベル文学賞の候補に挙げられる作家。
あれから30年、2人の立ち位置は天と地くらいに隔たってしまった。

実は、村上春樹の本を、俺は1冊も読んだことがなかった。
当然、IQ84も読んでません。
なんだか、かっこつけの御洒落野郎臭がイヤだった。
2年前に入院したとき、女房に「村上龍の本、なんでもいいから買ってきてくれ」と頼んだら、村上春樹の「ねじまき鳥クロニクル」を間違えて買ってこられて、仕方なく読み始めたが、主人公が昼食にパスタを茹でたりなんかしてるあたりで、「ダメだ~」と放棄しました。
だが、最近、きまぐれから、その本をもう一度読み始めたら…。
めっちゃおもろいですやん。
気取った感じも安部公房みたいな無機質志向と思え出したらハマちゃいました。

とりあえず今から「ノルウェイの森」を見に行こうと思う。
さっきまで「スプリング・フィーバー」と「ヘヴンズストーリー」で迷ってたのだが、書いてるうちに気が変わりました。
2010年12月11日 (土)
慣れ親しみの末路 ティアラちゃんキュ~
最近、とみに思うのです。
慣れ親しむことは尊きかな…と。

かのキューブリックの迷作「時計じかけのオレンジ」。
ウルトラバイオレンスボーイのアレックス君が官憲に捕えられて人格改造を行われます。
強制的に大音量でクラシック音楽を聞かされながらナチスの大虐殺のフィルムを見せられ続けることで、彼は暴力アレルギー男になってしまうのです。

かくして、私めも強制的に見せられ続けることで、人格改造されてしまったようです。
ただ、私の場合は恋におちてしまったのです。

映画好きが高じて、年がら年中、映画館に入り浸っておりました。
その度に、上映前の「海賊版撲滅キャンペーン」の広告フィルムを見せられるのです。拒否はできません。否応なしであります。
皆様もご覧になったことがあるのではないでしょうか。
映画館の席で斜め前に座った頭部カメラ男を「こいつよ!」みたいな感じで両指で指示し官憲にチクリまくる女性を。
又、自宅パソコンでニヤつきながら違法ダウンロードしてる最中に官憲に踏み込まれ、わざとらしく「あれまあ!」みたいな感じで両手を万歳する女性を。

最初は、あまりにわざとらしい三文芝居が、広告の安さとマッチした救われなさにドン退きだったのです。
しかし、何度も何度も強制的に彼女の演技を見せられ続けることで、いつしか、「わざと下手ぶってる」→「無理やり下手やらされてる」→「気の毒だ」→「愛おしい」と私の思いも深化をすすめました。
もはや、最近では、映画本編より、彼女に姿を見ることが目的になってきております。
特に半開きにした口元がセクシーです。
真っ赤な口紅の肉厚な唇がグロスで艶やかにプルルンと私を誘います。
ああ…いろいろ妄想してしまいます。
とても言葉にはできないようなことを…。

検索して調べましたら彼女の名は「ティアラ」
モデルでISSAの従妹だそうですな。
2010年11月26日 (金)
露呈されたデラックスに見えるが脆弱な本質
所詮はロクなもんじゃなかった民主党だとは思うけどさ。
ロクなもんじゃなかったからこそ戦後の日本が覆い隠して、見て見ぬふりしてきた多くの問題が露呈してきてよかったのよ。
そう思わない?
尖閣とか北方領土とか竹島とかさ、あなた知ってたの?
って言うか関心ある?
えっ、あるの?そう…あるんだ…。
でもさ、ちょっとね遅すぎちゃったのよね、あたしたちって。
知ってる?
貸金だって売掛金だって、返さない奴や払わない奴にずーっと督促しないとさ、権利なくなっちゃうじゃない。
一緒だと思うのよね。
だーれも関心すらなかったのにさ、関心あったって、アメリカさんに背中に隠れてしか何も言ってこなかったし。
もう、しかたないじゃない、今更。
尖閣は中国さんに、
北方はロシアさんに、
竹島は韓国さんに、
…あげちゃいましょ!
それで、まーるくおさまるのよ。
ねっ、平和が一番!
えっ、そんなことしたら、そのうち沖縄や北海道や対馬も捕られちゃうって?
そんなことがおこったら、
万が一そんなことになったら、
そのときはさ


わしが自衛隊に戻ってF-15で北京とモスクワに爆弾落としてやらあ


あら、ダメ?
そのデラックスな図体じゃあコックピットに入らないって。
バカね冗談よ。
元相撲取りのあたしに戦闘機なんて操縦できるわけないじゃない。
2010年11月6日 (土)
読書二題
●絶望の果てにしか希望は存在しない

川上未映子の「乳と卵」を読んだのだが、
で、少し前に、西加奈子の「通天閣」を読んだときにも思ったのだが、
最近の関西出の女たちが描く世界は、なんで又、こうまで八方塞がりで遣り切れないまでに救いがないのだろう。
いや、両作品とも、最後の最後に救いらしきものは、一応提示はされるのだがね、あくまで一応的なみみっちい救いなのだ。
一方で、こういうどん底気分は、たまらなく、俺の神経に馴染む。
チャラいもんは唾棄したい。
地獄をくぐってこそ掴める何かがあるんだと思いたいのだ。

●何が正常かが見失われた世界ではアンチモラルにこそ倫理が宿る

ステーヴン・キングの短編集で「十時の人々」というのを読んだ。
これは、世界の片隅に追いやられつつある喫煙者だけに、今まさに世界を浸食しつつあるインベーダーたちの真の醜姿が見えるという内容。
これを読みつつ、俺は長編「セル」を思わずにはいられなかった。
あれは、進行する世界のある瞬間、そのときに携帯電話を耳に当てていた者すべてがゾンビ化するという話であった。
この2編で、キングが叩きのめすのは「携帯中毒者」と「嫌煙者」である。
異常な世界の中で、こういう正常な倫理観に立脚した作品を読むことで俺は救われる。
2010年10月27日 (水)
和顔愛語
「なんなん、ネイル…言うん、それ」
「あ、はい」
「最近、けっこう流行ってるみたいやん」
「ええ、けっこうやってますね」
「高いんちゃうん」
「いや、これ、めっちゃ安かったんです」
「ほんまあ」
「3500円」
「そう…相場知らんから…安いん」
「はい」
「それって、洗ってもとれへんの」
「はい」
「何なん…素材」
「バイオ…ジェル?」
「…そうなん」
「…」
「うれしいん?そんなんすると…やっぱり」
「はい」
「…」
「電車の中で吊革持ったとき、こう内向きに手しちゃいます…で、見ちゃうんです」
「そんときうれしいんや」
「はい」
「…」
「…」
「今晩、飯喰いに行こか」
「はい」

『和顔愛語』
づんさんのブログで知ったが素晴らしい言葉である。
尚、上述最後の2行はフィクションである。
俺なりの『愛語』を表現させていただいたものだ。
2010年10月26日 (火)
切ない想い
1ヶ月ほど前のことになる。
俺は長居陸上競技場に居た。
大阪市内の中学生の陸上部の大会があって、俺の息子も選手に選ばれて出るらしかった。
正直、そんなもん見たくもなかったのだが、見に行きたいと騒ぐやつがいて仕方なかったのだ。
案の定、父兄なんかで嬉しがって見にきてる姿もまばらなスタンドで、淡々と8人1組で繰り返される100メートル走を見てても何の感興がわくわけもなく、やっと、俺の息子が走って2位になったのを見届け、帰ろうかと思ったら、横で大騒ぎしてたやつの姿が見えず、どうも感極まってゴール付近のグラウンド近くの席に走っていってしまったらしい。
仕方なく、中学生だらけの会場をひとしきり見渡し、まあ、なんのかんの言っても運動してる男女の、それなりに真摯な熱気と興奮をわずかに感じて、一抹の郷愁と羨望を感じたりしつつ、俺は競技場を出てぶらぶら歩いていると、壁に張り出された成績表みたいなのに人が群れていて、見れば20人くらいの中に息子の名前もあった。
息子と同じ体操服を着た女子中学生たちに
「ここに載ってるのは府の大会に行けるってことなん?」
と聞くと
「○○君のお父さんですか!」
と嬉しそうに聞いてくるので、俄かにチョイ悪オヤジオーラを発しながら関東弁モードに切り替え
「うむ…君たち同級生ですか。息子のことよろしく」
と言いつつ、ワイルディッシュ且つ女殺し悩殺微笑若干の加齢臭風味を送りつけてやった。
女子中学生たちは嬉しげに笑っていた。
そして、さりげなく立ち去る俺。
視線を意識しながら、俺はかつて感じたことのない感情を覚えた。
それは、若さへの羨望であろうか。

俺は歯軋りしながら独りごつ。
「息子の野郎…羨ましすぎるやんけ!」

数週間後の休日。
「休みの日とか近所うろつかんといて!」
と言われた。
「は?なんなん」
「あんたな、子供が、○○君のお父さんトドみたい言われて落ち込んでんねん。出かけたいんやったら暗なってからにし」

そのときから、俺のオーラは消えてしまったのだ。
今日は久々に親爺どもの映画を見てオーラを取り戻したい。
十三人の刺客」と「ヌードの夜」と「悪人」を見よう。
2010年10月8日 (金)
1億のカシラになる覚悟とは
煙草を目の敵にする愚者どもが世界を滅ぼそうとしている。
これは、かの徳川綱吉の生類憐れみの令に匹敵する偏狭な価値観であり、禁酒法と並ぶ後世の物笑いのタネとなるであろう。
ヒステリックに煙草の害を説く変質者どもは半世紀後には恥をさらすことを覚悟すべきだ。
はっきり言おう。
俺に国政を任せてくれるなら…煙草税はゼロにする。
社内禁煙なんてゆうアホ会社は法人税を重課税し、社内全域を喫煙コーナーと化した会社は法人税をゼロにしてやる。

尖閣問題でゴチャゴチャやってるが、何が最重要課題なん?
拉致されたフジタの社員の解放じゃないのか。
もっと、わめきたてろ、為政者ども。
家族の命が危険にさらされたら恥も外聞もないのが当たり前だろ。
上がぬるいから民族が劣化する。
言葉尻の友愛なぞクソくらえだ。
俺が総理大臣ならやることは決まってる。
日本に滞在する中国人を100人ほど拘束し、4人の邦人を解放するまで、1時間に1人ずつ銃殺刑にする。

拘束された息子を案ずる母の、夫を想う妻の、父を待つ子の思い。
それを慮り、国は守れ国民を。
政治家は、そのためなら喜んで死ぬべきだ。
2010年9月28日 (火)
ヘロヘロな湿った夜の呟き
金曜日。
体調は悪かったが、休みをとっていたので、映画を見に行った。
朝一から大阪は新世界へ行き、最近、新世界に行けば行くことにしてるジャンジャン横丁の端っこの立ち食い蕎麦屋でたぬきを食い、新世界国際劇場に入った。
朝の9:30。館内はガラガラ。
座ったとたんに眠くなった。
まず、ジャッキー・チェンの「ダブル・ミッション」。
見てる間、ひたすら「ベスト・キッド」が見てえ…と思い続ける。
思い続けることで、何とか睡魔を封殺。
続いて「ジェニファーズ・ボディ」。
かなりいい。
トランスフォーマー」のミーガン嬢と「マンマ・ミーア」のアマンダ嬢によるヴァンパイアものだが、2人の性フェロモンが全開で、そのフェロモンを吸収し下半身に誘導蓄積することで睡魔を封殺。
3本目はイタリア映画「副王家の人々」でこいつが鬼門になりそうだった。
映画館に入って4時間弱が経過し意識が朦朧としかけていた。
コーヒーを買いに出て戻ると、座ってた通路横の席に別のおっさんが座っていた。
仕方なく1列前で1席ずらして腰掛ける。
映画は微妙な出来。貴族階級の斜陽を描いて「山猫」を想起したが、当然ヴィスコンティに及ぶもんでもない。
間歇的に遅い来る睡魔に俺は抗いきれないかと半ばあきらめた瞬間。
俺の横におっさんが座った。
「しまった!」と思った。
通路側の席を1つ空けて座った俺のポジショニングがいかにも誘っている風になっていたのだ。
恐る恐るといった態で俺の太ももにタッチするおっさん。
「かんべんしてくれ~」
仕方なく、俺は半ケツに腰を浮かしおっさんに完全に背を向けてやった。
「あんたなんか興味ないわよーだ」的オーラを発しつつ…。
おっさんは退散した。
そして、この椿事は俺の睡魔を封殺した。

映画が終わり、俺は地下鉄で九条へ向かう。
シネヌーヴォXでマカロニ・ウエスタン特集を見るためだ。
正直、戦闘意欲はゼロに等しかったが、前売り券を2枚も買ってしまっていた。
ヘロヘロ状態でスクリーンに対峙し「群盗荒野を裂く」のオープニングを見てプロジェクター上映であることに気づいた。
一気に見る気をなくしたが、最後まで座っていた。
あまりにヘロヘロで立ちあがって出る気力もなく、又、主役のジャン・マリア・ボロンテのヘロヘロ感が微妙に俺のヘロヘロと同期する。
映画が終わってロビーに出た俺は次の回の「さすらいの一匹狼」をあきらめ夜の九条商店街を歩き始めた。
駅の駅のホームで無駄にした映画チケットを破り捨て俺は独りごつ。
「何してんねんやろ…俺」
2010年9月19日 (日)
見て見ぬふりは見殺しと同義じゃないか
押尾守が極悪人のように言われている。
仕事も家庭も今いち冴えない日々の気晴らしに役得とも言えるスケコマシで憂さを晴らす日々の中で、片や有名人との知己が色々天秤にかけりゃあ、あった方がいいという女と知り合い、ホテルでやる前のバイアグラ代わりにラリってみようとしたら、量が違ったのか体質が合わなかったのか知らんが、女は意識不明になっちまった。
おっかなくって逃げちまいたいのだが、それもヤバイ気がするし、どうしようとオロオロしまくり、気づいてみりゃあ時間ばかりが過ぎていく。
そして、女は冷たくなった。

娘の親とすりゃあ、ひとこと言いたいのはわかる。
でも、彼女は拉致されて無理やり薬を打たれたんじゃない。
限りなく事故に近い案件じゃないのかね。

世間を歩いていりゃ、道端にも隣近所にも瀕死の人に出くわす可能性が高い。
生きて、その夜を越せない状態で道端でうずくまるホームレス。
その傍を酒に酔って嬌声を上げて見てみぬふりで通り過ぎる。
隣の家から小学生の泣き叫ぶ声がしょっちゅう聞こえる。
児童相談所に電話をするのが関の山で、自らその家を訪れたりは決してしない。

押尾の裁判なんてどうでもええんちゃうかね。
くだらなくって反吐が出る。
2010年9月11日 (土)
郷愁の70年代映画
ロバート・アルトマンの「BIRD★SHT」とハル・アシュビーの「少年は虹を渡る」がリバイバル公開され、大阪でも来週から上映される。
どちらも、バド・コートという少年俳優の主演映画であり、アルトマンとアシュビーという後の大家の初期の注目作である。
何をさておいても何とか見に行きたいと思っているが、その衝動の誘因は70年代作品というキーワード。
それは、俺の小学生から高校生に至る10年間と合致し、青臭い郷愁と同期し、催淫的な吸引力で俺を引き付ける。
ビデオもDVDもゲームもパソコンも携帯もない時代。
1冊の「スクリーン」という映画雑誌を隅から隅まで繰り返し読み、エヴァ・オーリンやシドニーロームの水着姿に熱き血潮を放出させた時代。
その頃に見たいと夢にまで見た、或いはTV放映とかで片鱗に触れた映画群の記憶は、50歳を目前にした今でも容易に蘇る。

俺は、この企画の成功を祈願し、更なる70年代映画の再映を期待する。
以下、夢にまで見る上映作品。

「真夜中のパーティーウィリアム・フリードキン
「キャッチ22」マイク・ニコルズ
「断絶」モンテ・ヘルマン
「ボーイフレンド」ケン・ラッセル
「ジュニア・ボナー 華麗なる挑戦」サム・ペキンパー
スローターハウス5ジョージ・ロイ・ヒル
「脱出」ジョン・ブアマン
「バンクジャック」リチャード・ブルックス
「フレンジーアルフレッド・ヒッチコック
「ホットロック」ピーター・イェーツ
ミネソタ大強盗団フィリップ・カウフマン
「ボギー!俺も男だ」ハーバート・ロス
「夕陽の群盗」ロバート・ベントン
「ロイ・ビーンジョン・ヒューストン
北国の帝王ロバート・アルドリッチ
「突破口!」ドン・シーゲル
「カンバセーション 盗聴」フランシス・フォード・コッポラ
「サンダーボルト」マイケル・チミノ
「チャイナタウン」ロマン・ポランスキー

…キリがないのでこの辺で。
2010年9月3日 (金)
愚論な世論
この世で最も信用ならないのは?
「政治家」・「坊主」・「セールスマン」・「篤志家」・「子供好き」・「自治会長」・「警官」・「教師」・「親」・「兄弟」…。
人それぞれ思い浮かぶものはあるだろう。
そして、誰からも信用されない俺が言うのもなんであるが、
「世論」
こいつほど信用ならんものはない。
大体、大勢を占める意見というものにはあまりロクなもんがない。
会議とかでも、そういう多数決的進行に流れ始めると睡魔が襲う。
耳目を開かせ脳内アドレナリンが活性化するのは、誰か個のオリジナルな意見が秀でていたときなのだ。

世論調査」とかいうものがヤケに幅を利かせている。
民主党の代表選挙でも「小沢不支持」が世論の大勢を占める。
だが、安部以降の無様な首相連続交代劇を都度、世論は支持してきたではないか。
このへんで、世論と真逆の選択を民主党はしてもいい。
マスコミも、お追従はええかげんにしてほしい。

先日、たけしがTVでいいこと言っていた。
小沢一郎が首相になって、万が一日本が良くなったら、誰も政治と金のことなんて言わなくなるよ」
そのとおりだろう。
で、万が一が期待できそうなのも、もう小沢しか残ってないのだ。
2010年8月29日 (日)
日傘
先日、奈良に行ったとき思った。
「日本の女たちは、昔からこんなに日傘をさしていただろうか」

近鉄奈良駅から登大路の国道沿いを興福寺脇を通り、鹿にせんべいやりつつ東大寺へ向かう道すがら思ったのだ。
もちろん、女たちが日傘をさしているのは日常見ているわけで、今更とりたてて言うのもどうかと思う。
しかし、その日は道を行く人々の外国人比率が50%くらいだった。

日本人の女たちの日傘率は、ざっと見て80%くらいか。
それに対して、外国人女性の日傘率は完全に0%であった。
日傘をさしてる女なんて1人もいやしないのだ。

こういう環境下におかれた俺の魂は仮想の外国人男性のNicholasへと憑依する。
「Oh! Japanese Girls Doitsumokoitumo Kasa sasiteruyo Bakkamitaidaze! Do you think so, Nancy?」
「Oh! Japanese Girls are all Shigaisenkyoufusyo, Maji Bakkamitaiyo」

元の体に戻った俺は、1人赤面しつつ、Nancyと思しき女性の健康的に日焼けし汗を輝かせたタンクトップにショートパンツ姿の開放感を好ましく思う。

どいつもこいつも携帯の小さな画面に見入る電車内の風景。
俺は、一種の嫌悪感を感じるので、電車内で携帯を見たことは一度もない。
この日傘にも、そういうのと同質な感じを受けた。

俺たちは、このままでは、どんどん萎縮した小さな世界に押し込められていくだけなのではないだろうか。
1歩退いた目で見れば、案外視界は開けるかも知れない。
閉塞感を打破するには、そういうとこから始めないといけない。

えっ?ところで、お前は日焼けした女性と色白な女性だったら、どっちが好みかって?
色白に決まってるやろ。
2010年8月27日 (金)
新しい時代のとば口で
最近、聞くたびにイラつくのが
「今は非常事態だから」
という物言いであって、ニュース番組とか見てると政治家や評論家がよく言っている。
不景気でデフレだから、財政緊縮論は一旦おいといて、今は財政出動しなくてはならないらしい。
俺は、とんでもない勘違いな夢想者のたわごとにしか聞こえない。
そういうことを言う人は、今の日本の状況が一過性のものであって、景気循環論的に、遠からず再度、好景気が訪れると思ってるらしいからだ。
戦後の成長神話はバブルの狂乱をピークに終焉し、もはや、財政的テコ入れをいくらしたって、日本はもう90年代以前には戻れない。
今後、税収は減り続け、社会保障は崩壊するだろう。
今は非常事態なのではなく、始まりなのではないのか?
老人の行方不明の問題や、一方で子供の虐待が日常的にニュースで取り上げられるが、これが、今後の崩れ行く時代の端緒ではないことを願いたいものだ。

桐野夏生の「メタボラ」を読んだ。
おそらく、これは、ゼロ年代の最重要小説の1つだろう。
何一つ何かの道標が提示されるわけではないが、現状認識において完璧に的確だと思う。

先週、何十年ぶりかで奈良の東大寺へ行った。
猛暑だが、すごい人出で、しかも半分が外国人観光客なのに驚いた。
それにしても、大仏殿の中は何時から撮影解禁になったのだろう。
フラッシュを浴びる大仏は記憶よりはるかに縮んで見えた。
柱の穴を我が子に潜り抜けさせる為に並ぶ長蛇の人々。
その先頭で中国人の母親が怖がり泣き叫ぶ子供を穴に押し込め大騒ぎ。

勤務先の事務所で数日前から腐臭が漂っていた。
いつまでも臭いが消えないので、横の建物との隙間に入ってみた。
暗がりの隘路の遠くに見える排水溝に何かが見えた。
小さな何かが周囲を飛び回っている。
そして、その表面には小さな何かが山ほどうごめいている。

そんな時代もあったねと、きっと思える日がきてほしい。
2010年8月22日 (日)
茹であがる思考回路
朝、家を出たとたん眩暈がする。
日差しが強烈すぎるのだ。
何か、温暖化なんていう緩い言葉で俺たちは騙されてるのではないか?
実際は、「2012」の映画じゃないが、来年あたり地球は滅びるんちゃうかね。
一握りの連中だけが、それを知って生き残り策に奔走してるのでは。

俺は、地球滅亡のときに生き延びたいなんて思わないが、やはり、数日前には、そのことを知りたい。
知ってどうするかって?
どうするかね…。
考える気力もない。

今から健康診断に行くのだが、朝、食パン喰っちまった。
去年、検便を忘れたので、便のことばかり気にしてたら絶食のこと忘れてた。

所詮は小さな人間さ、俺なんて。
2010年8月9日 (月)
レス・レス・レスの3すくみ
7月に入って8年ぶりに勤務地が移動した。
と、同時に降格されてた戒めがとけ、元の役職に戻った。
新しい場所で、とりあえずは、何より牛耳ってしまわねばならないので、サボることが当面はできなくなった。
映画館やネット喫茶や本屋に行かなくなった。

辞めるわけにもいかないから、流されているが、何となく虚しい。

俺は、かねがね、映画ばっかり見てるってことは不幸なことだと思っていたし、人にも、その持論を言ったりしてきた。
それは、逆説的に、「映画見るくらいしかやることない」と同義で、世の中には、もっと有意義で楽しいことがゴマンとあるからだと思ったりするからだったのだが、実は、そういうことは、結局、金がなければどうにもならないのである。

女房がパートを辞めて金が苦しくなってきても、下の子どもを塾にやらねばならず、苦しさはいや増す。
家のパソコンが壊れて、ネットが見れず、日々空虚だが、しかたない。

ネットレス&映画レスライフで新しい何かをつかめる気が全くしない。
しかも、タイムレス&マネーレスで俺はすくみあがってる。
2010年7月16日 (金)
性懲りもない2題話 そして黄金時代の終焉
①新生ゆうパックの遅配問題

お役所仕事でまったりやってきた郵便局の連中と民間大手の日通の社員を準備なく混ぜて機能するわけない。
悪いが、この合併に意味を見出せるとすれば、それは、大多数の郵便局員が淘汰され、民間に放出され路頭に迷うようになったときだけだ。
郵便局員の仕事を否定もしないが、如何せん仕事内容に比して給料がバカ高すぎ。
垂れ流し続ける赤字を誰が補填するのかね。
前総裁の利権絡みで拙速な合併を否定する論調があるが、本質を見誤ってはいけない。

②大相撲の野球賭博問題

野球賭博くらいしたっていいじゃないか。
胴元がヤクザだからダメだって?
25%の法外なテラ銭とってるJRAはどうなんよ。
ヤクザより、よっぽどたち悪いね。
そこにはさあ、小役人崩れのクソどもがウジのようにたかってるじゃん。
開き直って、いっそのことさあ、「国技」なんて意味のないもん返上して。
プロレスと同じような興行団体になればいいのさ。

7月1日に仕事の異動があり、
仕事中に映画館やネット喫茶で、サボることはできなくなった。
まあ、この1年が異常だったのだろう。
俺にとっての「黄金時代」は終焉した。
それが、いいのか悪いのかはわからないが…。
2010年7月9日 (金)