映画1988
★★★★ 2024年9月14日(土) プラネットプラス1 70年代の掉尾を賑わせた「地獄の黙示録」で出し殻になってしまったコッポラは急激に生気を失っていき、それでもお付き合いで見てたけど84年の「コットン・クラブ」を見るに至ってもうあかんわと見るのをや…
★★★ 1998年4月13日(月) ホクテンザ1 この作品に限ったことではないが、片隅的場末感のみが主題を占めてピカレスクに成り上がるというエナジーが決定的に欠如する。女を風呂で洗ってやる「しみじみ感」表出が名シーンと感じさせるようでは歯がゆい。結果鶴見…
★★★★ 1999年5月23日(日) シネヌーヴォ梅田 白黒16ミリで延々と続くハイテンションのグロは振り切れて世界が裏返るでもなく閉塞世界の地獄に沈殿する。モラリズムの破壊が掟破りにコードを超える為だ。結局その越境度合いの凄まじさに諦観するだけ。蹂躙さ…
★ 1994年4月3日(日) 新世界国際劇場 鮮烈なデビューを果たした男が全然鮮烈じゃなくなり、後に輝く女は一向に光らず、七光りの娘は何がしたくて監督にまでしゃしゃりでたのやら全くわからない。素晴らしいまでのクスブり集合体だが、本人たちに自覚がなく自…
★★★ 2002年2月23日(土) 扇町ミュージアムスクエア 初期大友テイストのグダグダな停滞感が無くのっぺりツルンとした凡作。何かどこかで見たような青春モノらしき設定やキャラクターが継ぎ接ぎされてはいるが全て借り物の印象。松竹カラーに染められて山川は『…
★★★★★ 1993年6月24日(木) パラダイスシネマ1 3人が世界各地で点描される前半がスケールとロマンティシズムを内包した悠久の映画的ダイナミズムを示現している。中盤、男2人に女1人のルーティーン展開になりかけたのだが最後は全てを振り切り神話の世界に…
★★★★ 1993年8月4日(水) ゆやホール 堕胎幇助にせよ不倫にせよ誉められた行為とは思わないが、ここまで断罪される行為なのか?という時代に於ける倫理観の変遷をシャブロルは肯定も否定もしない。その冷徹なまでの視座。ユペールがクールに熱い。(cinemascape)…
★★ 1993年8月6日(金) みなみ会館 腐れ縁に引きずられ自らの幸せを手に出来ない男に一本通った侠気や論理が窺えないので何だか締まりのないグズグズ展開に嫌気がさしてくる。数多ある香港ノワールの中でもつまらない方。映像主義の鎧を纏わぬ王家衛は作劇の凡…
★ 1993年10月30日(土) 第七藝術劇場 少女ががなり立てて様になるのは難しい。声質も表情も挙動も何かを捨てて境界を越えないと様にはなれないから。そして、当然ここには越えた者など居ない。見ている間人事ながら恥ずかしくて仕方なかった。学芸会以下のク…
★★★ 2003年8月21日(木) トビタ東映 いくら流行とは言え寅次郎とマドンナのジョイントとしては俵万智は機能すべくもなく「やむを得ず 大学の講義で バカ話」するのが最大の見せ場とあっては三田佳子が気の毒にさえ思えてきた。多少はしんみりするのが救い。(c…
★★★★★ 2022年2月17日(木) テアトル梅田2 以前「ニーチェの馬」を見たとき30分で語れることを2時間半かけていると書いたことがあるが、タル・ヴェーラのスタイルを確立したと言われる本作を見て、昔からそういう人だったのねと思った。 1イシューをギ…
★★★ 1992年8月1日(土) アクア文化ホール エッセンスが網羅されており淡々としてるが飽きない。のではあるが、数年後に絶対領域に突入するカウリスマキの未だ削ぎ落とし切れぬ思いが磨きの足りぬ工芸品のように作品の輪郭を曖昧に曇らせている。足りないのは…
★★★★★ 1991年3月23日(土) 祇園会館 引きの画の呪縛から解き放たれたアンゲロプロスは饒舌からほど遠い地平で神話と物語の均衡点に奇跡的に降り立った。グエッラのアントニオーニとの共闘作業の最善の形での復刻。厳酷な風景の中のドラマに差し込む微かな温度…
★★ 1991年3月31日(日) 祇園会館 現代のお伽噺と言うには余りにはったりズムに欠け描写が中途半端で緩い。1人で撮影までも切り盛りしてきた映画作家が撮影者に委ねるときの思い切りが無いとこうなるの。意表をついたハウアーとの喰い合わせも結果は違和感だ…
★ 1991年4月7日(日) トビタシネマ どうせつまらんだろうと覚悟しイヤイヤ見ていても、実際につまらんかったら納得するどころか人生を呪いたくなる。駄目ホラーでも全て見ずにはおれないコアなホラーフリーク以外は決して見ないほうが吉。まあ、これ程見せ場…
★ 1991年6月2日(日) トビタシネマ せめてTVのシケた刑事もんくらいのクオリティなら未だしも劇場映画として製作され、よりによって何の因果で日本で公開され、万に1つの確率でこの俺が見るハメに陥った運命を呪わずにはおれない。この世にはそんな代物も…
★★ 1991年8月25日(日) 日劇会館 女侠映画のパターンを忠実に現代に置き換えただけのもので健さん・鶴田のポジションにたけしってのが新鮮で気が利いてるとは思うがそれだけだ。肝心の黒木がどうにも柄じゃなく肚の据わりに欠けるし鷹森演出には映画エキスの…
★★★★ 1990年5月27日(日) トビタシネマ 30年代アメリカの上質スクリューボールコメディか、はたまた60年代東宝の熟達のサラリーマンミュージカルか…とにかく有無を言わせぬテンポの良さ。ユンファの芸域の広さにも感銘したが、何より2女優の掛値無く美人…
★★★★★ 1990年12月30日(日) みなみ会館 夜中に窓外の気配に怖々目を凝らしたとき、又夕闇の雨のバス停で気配に振り向いたとき、そこに居るという静謐の間合いから、大空中の飛翔や猫バスの疾走に繋がる緩急。そして、俺は大きくフワフワのモノに包まれ羊水の…
★★ 1989年1月8日(日) 長崎東映パラス 読んではいないが小林信彦原作なら東映実録路線を念頭においたものなのだろう。ならば、そこを一通りは通した上でパロってくれないとと思うのだ。搦め手からの捻ったキャスティングも結構だが冷めた諧謔だけで本質は上滑…
★★★★★ 1989年2月5日(日) 長崎宝塚劇場 「どうしよう…落ち着け…」とオタつく自分に言い聞かせるところで一気に掴んだ。四苦八苦するが何とかなっちまう等身大キャラが最後まで一貫しており、結果ガンマン気取りの大見得がギャグ寸前で反転し映画をいきなり別…
★★★★★ 1989年4月23日(日) 長崎東映シネマⅡ 主人公宅を名取が訪れる場面や寄席の外での片岡との邂逅シーン等、尋常じゃない世界との接触を日常に埋没させる山田の巧妙な台詞回し。浅草シークェンスは全て突出するが、マンションのパートも都会の孤独を表出さ…
★★ 1989年5月7日(日) 長崎宝塚劇場 リー・カーティスが旧来の映画的ビッチとしてはミスマッチに思え、他の優しい奴らも正直全然キュートじゃない。外す基軸がブレて何処で笑えばいいのかさえ俺には見えない始末。何が面白いのかさっぱりなのは単に俺が馬鹿な…
★★★ 1989年7月16日(日) セントラル劇場 冷厳な撮影と精緻で抑制された描写が続き、それだけなら好みと言ってもいいのだが、双子というモチーフに対してクローネンバーグが理解不能なのめり込みを見せる偏執的な拘りが些かも感応して来ないので退屈としか言え…
★★★ 1988年9月18日(日) 新世界劇場2 アニメの持つ自由度を自ら束縛しているが、叙事的描写においてクール。ただ、それでも原作の持つ乾いた描写は埋もれている。怒りの代わりに叙情性が抽出されたのは否定はしない。ただ、それを殊更とやかく言うのは野暮。…
★★ 1988年10月16日(日) 新世界劇場 監督がスタントおじさんバディ・バン・ホーンという段階で熱意の無さとかやっつけ仕事感が漂うシリーズ最終作にして最低作。イーストウッドも老いて何が何でも叩っ殺したる的切れ味が失せ、だったら別シリーズにすればよか…
★★★★ 1988年10月23日(日) 長崎ロッポニカ 1挺の拳銃を巡っての芋蔓式に連鎖する物語が一触即発の危機感を孕みつつも微妙な緩みと倦怠を内包する。沢田の疲弊感がいい塩梅で映像はキレ良くパワフル。藤田敏八の新たなスタートを感じさせるに充分な出来だった…
★★ 1988年10月16日(日) 新世界劇場 ロートル爺さんが若手を導くという話なら解るが、壮年期のおっさんがマイナー世界に耽溺し、くすぶり人生で自己愛に浸るという物語が心を射よう筈もない。それを、知ったような顔して悦に入るコスナーのナルシズムが上塗り…
★★★★ 1988年12月18日(日) 長崎松竹 物語としては企画もんの域を出ないのかもしれないが、この映画全体を覆う終末的寂寥感は間もなくピークアウトする日本経済を予見していたかのようだ。勿論市川準にはそんな先見性はない。ただ、無責任男たちの挽歌として俺…
★★★ 1988年12月18日(日) 長崎松竹 マニュアル的マーケッティング手法に基づきサブカル系の雑誌かサイトを眺めてピックアップした題材を並べたかのような味気無さ。新人監督ばかり4人を配したのは、そういう危険性を考慮した戦略だったのだろうが打破は出来…