男の痰壺

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不安は魂を食いつくす

★★★★★ 2023年8月1日(月) シネリーブル梅田2

移民の男が自分の母親と同じくらいの歳の掃除婦のおばちゃんと恋に落ちるが色々と軋轢が生じる、みたいな話だが、ファスビンダーがこの物語をどこまで信じて撮っているかは疑問だ。

おばちゃんは3人の成人した子供のいる寡婦なのだが、最早どう見ても男を惹きつけるようなフェロモンは枯渇してるし、庇護本能を刺激するなよやかさもない。本人もそれは自覚してるし、お茶でも飲んでく?の段階ではそんな気はさらさらなかったのだが、何故だか関係を持ってしまった。そうなると、だんだんと気持ちの持ちようも変わっていくのである。

この女心の変遷は分かり易いのだが、問題は男の方。ファスビンダーは彼の内面に食い込んでいかないし、表情乏しく口数少ない男がどこまで本気なのかはわからない。年増趣味かというと同年代のバー店主から誘われると寝たりする。まあオールマイティなんでしょう。ちなみにこのバー店主は圧倒的にいい女です。

展開は女の側からぐいぐい押していくパターンで、その間、人種差別に根差した周囲との軋轢とかあるが、時間が解消していく。ただ、男の屈託を帯びた居住まいが何某かの予兆を見る者に抱かせる。

 

ファスビンダー作品中、稀有とも言える端正なフォルムを持った作品で、ダグラス・サークの作品に想を得てるそうだが、恥ずかしながらサーク未見の俺には何とも言えません。しかし、緩やかなトラックアップやダウン、横移動などはジョニー・トーの映画のような圧をもたらし、寡黙な男や女たちはカウリスマキの世界の住人のよう。その意図せざるキッチュが逆説的に俗話を崇高なものに高めている。

 

分かり易い女心と恐らく自分でも判じ難い男の心情。緩やかなトラックアップやダウン、横移動などがジョニー・トーめいた圧をもたらし、寡黙な男や女たちはカウリスマキ世界の住人のよう。その意図せざるキッチュが逆説的に俗話を崇高なものに高める。(cinemascape)

 

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