男の痰壺

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グレイテスト・ショーマン

★★★★★ 2018年3月4日(日) MOVIXあまがさき9
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ラ・ラ・ランド」が50年代MGMミュージカルへのオマージュを捧げたのに対して、本作は、60年代のワイズやジュイソンを筆頭とした巨大ミュージカルへのリスペクトが感じられる。
ロイド・ウェーバーなみにキャッチーな楽曲揃いであるし、それを朗々と歌い上げる力量も申し分ない。
正直、少年時代の主人公が「ミリオン・ドリーム」を歌い始めた段階で涙腺が刺激されてしまった。
 
際どい題材だと思うのだ。
彼ら彼女らは、闇の世界にいた自分たちを光のある世界へ誘ってくれた。
と言うのだが、それは明らかに綺麗ごと。
不具の人たちを見世物にして金儲けをした、っていう要素は避けがたい。
それが当たって大金儲けってのは、ある意味大衆も断罪されるべき。
っていう論点なぞは、この映画おかまいなしである。
 
多分、この映画は、そういった点を、少年時代のエピソードで、1点突破しようと試みる。
孤児となった少年が盗みで捕まってボコられたときに、通りがかりの女性からリンゴを差し出される。
その彼女が顔面奇形の人なのだが、人ごみに消えていく彼女のイメージは鮮烈だ。
であるから、彼には差別意識はなかったってのも綺麗ごと。
ただ、少なくとも感謝の念は持ち続けたろう、とは思わせる。
 
前半、そういった点はスルーされて、とんとん拍子にことが進み過ぎるのが難点といえば難点。
だが、後半に、見ごたえのある2つのシークエンスを配して映画はそれを上塗りする。
① 欧州の歌姫の米国公演
② 上流出の劇作家のリクルート
 
①では、圧倒的なものを圧倒的だと魅せるケレン
②では、堕ちてこそ見える真実の輝きを描くケレン無さ
が素晴らしい。
 
キャッチーな名曲を朗々と謳い上げる快楽が全篇を支配し演出も絶妙な反リアリズム。差別に対し生半可なスタンスなのだが少年時代の林檎を手渡し雑踏に消える彼女の鮮烈なイメージが疑義を上塗る。圧倒的なものを圧倒的に描き被虐は真実を照射するカーニバル。(cinemascape)