男の痰壺

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アンドレイ・ルブリョフ

★★★★ 2021年6月6日(日) シネヌーヴォ

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水や火や超常現象への拘りは未だそんなに際立っていない。これを見て「惑星ソラリス」がタルコフスキーの分岐点だったのだなと改めて思ったし、こういうプレ・タルコフタッチな土着的で政治的な混沌のクロニクルをもっと見たかったと思った。

でも、こういった巨視的なカオスは、20年の時を経てカネフスキーアレクセイ・ゲルマンなどに継承されて結実していくのだと思う。

 

分断された歴史的な挿話が並べられて、そこをルブリョフが通過していく。彼の芸術的苦悩とかも描かれないわけでなないが、寧ろ狂言回しに近い。

旅先で雨宿りした小屋での旅芸人たちや、森で遭遇する全裸信仰の異教徒たちは、ルブリョフの生き方にどう関与したのか不明であるが、挿話として画家同士の軋轢より魅力的だ。

中盤の佳境であるタタール人の襲撃と大殺戮は大鳥瞰のショットで括られる。そこに舞い降りる鳥たち。って、まんまヒッチコックの「鳥」やんかのケレンであります。

 

後半では、ルブリョフは後景に退き大鐘の制作話が延々と続く。もはや違う映画かと見紛うほどの割り切りで、少年釣鐘師の苦悩が真ん中に置かれる。町と教会を遥か下に見下ろす丘陵で作られた大鐘をどうやって降ろすんやの「フィッツカラルド」的な大ハッタリが好ましい。

一応最後はルブリョフ現れて、少年に「ようがんばったな、よっしゃワシも頑張って絵描きまっさ」と締められるが、そんなことより鐘制作の偏執的描写に圧倒された余韻が上回る。

 

このあとタルコフスキーが「ソラリス」や「ストーカー」といったSFに向かうのも然も有りなむと思わせます。

 

圧政と暴虐と戦禍の中世ロシアの混沌の中を通過していく画僧たち。その混迷と殺戮に塗れてルブリョフは心を折る。やがて1人の鐘職人の少年が現れて、という真説話的な展開。挿話は土着的リアリズムに根差しつつ壮大なハッタリとカオスに満ちた映画の本懐。(cinemascape)

 

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