★★★★★ 2022年9月28日(水) シネリーブル梅田1
大して作品見てるわけではないのでナンニ・モレッテイの何がそんなに偉大な作家なのかはわかりません。本作は群像劇なんだが、それならアルトマンやPTAやソダーバーグらアメリカの監督たちの作品の余裕かました余白のようなものに俺は惹かれる。
が、本作の生真面目に物語を綴っていく平板さの彼岸からなんだか吹っ切れたような境地が到来する終盤を見て一気に評価を上げました。そういう映画だと思います。
同じアパートの1、2、3階に住む3つの家族の物語だが、1階の夫婦と幼い娘の家族にまつわる物語が分量的に多い気がするし扱われるテーマも複層的。ではあるが、かなり無理筋なのではという気がする。テーマは猜疑と赦しか。
2階の夫が長期出張してる人妻、3階の夫婦とダメ息子の話が良い。不条理な離別に帰結する2階の家族。別離を経て和解に至る3階の家族。どちらの挿話も電話というアイテムが喪失の深さを際立たせる。特に夫に先立たれた妻が出ることのない夫の留守電に思いを何度も吹き込む件は胸打つものがあります。
町の祭典に伴うパレードや移民を巡る極右の暴虐などの外部世界の混沌を差し挟みつつパノラミックに畳みかける語り口は、これホンマにナンニ・モレッテイの映画?という重厚感がありました。
折しもイタリアでは極右政権が誕生しようとしている。移民排撃の一端を垣間見せる本作はバリバリ左派のモレッテイの思いが刻印されたものとなるだろう。
平板語りの3挿話のタペストリーだが、人の心の経年変化が複層的に畳み掛けられる終盤が圧倒的。赦しや和解の一方で2度とは戻れぬ越境もありシニカル。小道具としての電話や幻視イメージと極右台頭の世情や祭典の華やぎなど大技小技を織り混ぜる演出は重厚。(cinemascape)