★★★ 2018年7月7日(土) テアトル梅田1
なんでも瀬々敬久監督数十年来の企画だそうだ。
こういうのは、得てして温めている間に腐るかあらぬ方向に変質して思い入れの本質を見失う。
アナーキスト集団の底辺にいる「ギロチン社」。
女性が虐げられていた時代にその社会から逸脱した女性による「女相撲」。
各々ヒエラルキーの底辺の両者がどう交わりどういうドラマが生じたか?
交わるんだけど、何にも起こりません。
起こらなくたって、細部のエピソードにコクがあればいいのだが、どうにも薄い感じだ。
大体に、ギロチン社の面々に自分らはダメ野郎だとの自覚がなさそうなのが萎える。
一方、女相撲の方は、切実さは一応にじみ出ている。
だが、逸脱の被虐はまだまだ足りないのだ。
その被虐の中からしか真の変容は産まれないのだから。
これが、中盤以降にエピソードとして出てくるが、なんだかこっちの方が考えるべき問題のような気がしてくる。
そこが、構成上の難点となっている。
海辺で韓英恵が語る在日史。
これがクライマックスになるように構成を組み替えるべきだったような気がする。
底辺での共振を描くにもギロチン社の面々のバカさが邪魔し熱くもなれない。在郷軍人会の毒を喰らわばの悲哀と在日の圧殺史の悲愴がフィーチャーされるに及び映画は止め処なく拡散。主人公花菊はそういう混沌を突き抜ける生・性のダイナミズムにも欠けるのだ。(cinemascape)