男の痰壺

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マイ・サンシャイン

★★★ 2018年12月16日(日) シネリーブル梅田4
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何かとんでもないことが起こってるらしい。
メディアや隣人から伝え聞いて外に出てみたら、確かに空気が違っている。
胸騒ぎがする。
 
これは、ロス暴動のときの住宅地の雰囲気を描いた映画。
…ではないよな。
確かに、背景としてそれは重要なファクターではあるが、それのみを描いてはいない。
そして、そこが決定的にダメな点なのだ。
 
ハル・ベリーは養護施設に入れられるような子供たちを何人も育てている。
この主人公を、あまり深くつっこんで描写しないので全然肩入れできません。
なぜ、そんなことをするのかとか、どうやって生活を維持できてるのかとか。
だいたい、ハル・ベリーが微妙に違う感が拭えない。
上辺を掠ってるだけのような気がする。
 
おんなじことが、隣人の文筆家、ダニエル・クレイグにも言える。
で、この2人が、何か騒動の中でハイになってできちまう…みたいなドラマを俺は想定していたのだが。
案の定、たいしたことは起こらない。
起こらないくせに、ハル・ベリーは妄想でエロいこと考えたりする。
いったい何やねんって感じであります。
 
騒乱の中で、優等生少年が思いをよせる彼女が他の男とシコシコやってる現場を目撃。
で、結局、男の腹を刺してしまう。
病院を探し求めてる間に男は死んでしまう。
 
この映画は、須らくそういった極私的エピソードが連なり、内向きに閉じていく。
歴史的暴動を扱い対置させたそういう語りに対し自覚的であったのかという疑問。
たぶん違う気がする。

 

差別に対しての抑圧が暴動へと向かう大状況に対し点描される個々のドラマは須らく内向きに閉じていく。こういうドラマトゥルギーは有りとは思うが、にしてはベリー・クレイグがスター過ぎ見る者の戸惑いが残尿感としてしか残らない。舌足らずなのだ。(cinemascape)

 

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