★★★ 2021年3月20日(土) プラネットプラスワン
フロイトの学説ってよくはわかりませんが、リピドーとか勿体ぶって言ってるけど、要は人間すべて意識下のスケベ心に突き動かされている、ってことでいいんでしょうか。
であれば、当時のウィーンの保守的な学会で受け入れられなかったことは当然のような気もします。
ある日、妻が彼の書いている原稿を読んでるのを見たフロイトは、読まない方がいいと言う。彼自身も自分の学説がどういう風に受け取られるかわかっていた。でも、そうなんだから仕方ないという切ない相剋である。
映画の序盤でデヴィッド・マッカラムの患者に催眠療法を試みたら、やにわにマネキンに擦り寄ってマンマとばかりに頬擦りキス。なんじゃーこりゃあと驚愕するフロイト。学説の糸口の発見であります。
そのあと、2つの挿話を柱に展開する。
自らの父親との相剋からエディプスコンプレックスの発見に至る話とスザンナ・ヨークの患者の治療で、考えてみたらこの映画、学説の究明の過程に大半の尺を費やしている。
フロイトは愛妻家で家庭人だったらしい。ディナーは必ず家族とともにし、行楽にもよく行った。
ユダヤ人である彼は、学会内で要職に就けず生涯町医者として生計を立てねばならなかった。
一方で、先般見たマンキーウィッツの「ボストン物語」にも描かれていたが、アメリカの最保守の古都ボストンでさえフロイトは評価されつつあった。でも、フロイトはアメリカ嫌いだった。
こういう映画的には美味しいだろう挿話は全く触れられない。異質な感じがします。
どっちかというと職人肌のジョン・ヒューストンが何故これを撮ったのか謎。
撮影は後年「インディ・ジョーンズ」3部作など職人仕事をするダグラス・スローカムだが、ここではバリバリにエッジの効いた縦構図を連発しています。
偉人伝記もの常套である家族や周辺関係者とのエピソードは切り捨てられ精神分析の2つのトピックに作劇は絞り込まれる。奇天烈でない抑制された絵解きであるがヒューストンの柄じゃない感も拭えない。見応えあるクライマックスも人間関係が希薄で上滑る。(cinemascape)