男の痰壺

映画の感想中心です

十九歳の地図

★★★★ 2022年4月25日(月) シネヌーヴォ

俺が大学に入学した年の映画で、当時、大学の映研内では皆見てたと思うが、俺は見逃していた。理由は特になく単にタイミングが合わなかったんだと思う。

なんでそんなこと書いたかと言えば、19歳の自分を取り巻く世界への悶々は、やっぱリアルに同期する年齢で見ていた方が良かったと思えたからで、今の歳になると、そんなこといちいち腹立ててたってしゃーないやんけと思えてしまうからだ。

 

制作から40年を経て映画としての耐年性も気になってたが、そこは相当にリサーチして細部を作り込んでいると思われ所謂トホホ的印象を受ける部分は全くありませんでした。

 

しかし、それにしても、この映画の心の奥底を抉ってくるような印象は沖山秀子に大半が負うていると思います。あの肉体の醸し出す人間の限りない業と性。「かさぶたのマリア」というネーミングの素晴らしさも相俟り稀にみる文学的実存を結晶化してスクリーンに焼き付けていると思いました。

 

新聞代払わねえクズや御為ごかしの優しさを高所から押し付ける主婦はわかるが犬にまでと苛立ちと怨嗟は延伸していくがシコシコ地図作りに精出すお前も又同義なのだ。閉塞した坩堝の最下層に棲む「かさぶたのマリア」=沖山秀子。その稀有な文学的実存。(cinemascape)

 

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