★★★ 2022年7月14日(木) シネヌーヴォ
苦しみを抱えお先も真っ暗、救いも何もあったもんじやない。そういう話で、千葉の工業地帯の澱んだ空気が重くのしかかる。
瀬々の初期作だが、最近の犯罪ものの高バジェットな作品で見せる画面造形の密度はもとからの資質なんだと思わせます。
男と女の永遠に不可侵な性とでもいいますか。例えば子どもを堕ろすということの意味は男と女では全く違う。その相容れなさに疲れて女は自壊していく。
登場人物たちには各々背景の物語があるようだが僅かな断片が会話の端々で窺えるだけで、実際には何があったのかまではわからない。だから、何故、女は男を殺し、男はその女を殺したのかまではわかりません。だが、この世界の救われなさだけは映画から滲み出るエキスで十二分なほどわかる。
少しだけ出てくるガソリンスタンドの女やベビーショップの女の男たちへの異様なまでの攻撃性。こういう世界ではラストで知的障がいの女を伴い雑踏に消える男の姿は必然と思わされるのです。
希望が閉ざされた世界で自壊を望む女とそれに共振する男が出会う。工業地帯の澱んだ用水路でのたうつ雷魚のように世界から見捨てられ呼吸をしているだけ。そういう物語の隔絶感を長焦点レンズが随所で弥増させる。そして事後の存在を消去するかのような詠嘆。(cinemascape)