男の痰壺

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同じ下着を着るふたりの女

★★★★★ 023年7月13日(木) シネヌーヴォX

個人的にはネグレクトや虐待で子どもを死なせた親には同様のことをしてやればいいと思っている。食事を与えずに衰弱死させたら監禁して餓死の刑、熱湯浴びせて殺したら釜茹での刑、アホみたいに揺さぶって殺したら巨大遠心分離機の刑です。

そういういけずな考え方する俺なのだが、にもかかわらず本作は虐待する親にも一理あるところに踏み込んだ点で新しいと思った。もちろん映画はクソ親を擁護するポジションにはない。冷徹に母と娘を均等に描いているだけだ。

 

物事は見方によって真逆の様相を呈することがある。ワンサイドなマスメディアの報道の裏には別の真実もあり得るのだ。

韓国映画がアクションジャンルで遥か日本に先行して相当経つのだが、こういう濃密な人間描写でも日本は周回遅れどころではない。ガキ相手のキラキラ映画ばかりか跋扈する現状は映画界だけの問題ではなく国民の民度、成熟度の顕れだと思うのです。

 

母娘の孤絶した関係と並行して各々の外世界との関係が描かれる。娘に於いては職場の同僚や上司との、母に於いては再婚相手やその娘、職場の同僚との軋轢で、ここに踏み込んだことで映画は関係性のベクトルを反転させることに成功している。

 

この達成が全くの新人女性監督によって成されたことに驚く。媚びたところやチャラいところは皆無。かつての今村や神代によって描かれた図太い女の生き様に通底するものがここにはあるのだ。

 

クソ親なりの道理。それはそれで聞くべきものだし一概に否定されるものでもないという事。母娘の閉じた関係性は互いの外世界との関わりも濃密に描くことで見方は反転してゆく。この図太い女の生き様の全き骨太な描出。新人女性監督により為されたことに驚く。(cinemascape)

 

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