男の痰壺

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真実

★★★★ 2019年10月13日(日) MOVIXあまがさき7

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見る前に、日曜朝のトーク番組で是枝がこの映画の子役について語っているのを見た。

とんでもないクソガキだと。もちろん好意をこめてだが。

 

慣れ親しんだ面子の現場ではなく、初めての顔合わせの現場に入っていって仕事を御するってのは、一般の社会生活に於いても侭あるわけで、そういうときにどういう手管で人心を掌握するかってのを先天的に理解しているのだろうと思った。

子役は、当然ガキなのであって、ガキには大人は寛容であらねばならないし、であるからガキを掌握すれば現場の統御にもつながる。

 

もう1人は、撮影担当者で、テクニカルな面で現場の責任者は彼なのであって、そこに万全の信頼を寄せられるってのがプロジェクトの成否の鍵なのではと思う。

エリック・ゴーティエというベテランでありながらチャレンジングに次々と多様な現場を経てきた撮影者を選択できたことも成功の一因であったと推察できる。直近の彼の仕事がジャンクーの「帰れない二人」ってのもアジア人との親和性を物語る。

 

まあ、母娘の長年にわたる軋轢の物語であって、ベルイマン秋のソナタ」と基本の骨子は相似であって、母であり妻である前に女優であったという設定に愛情を受けれなかったという娘の積年の鬱屈が爆発する。

特段ここに、新しさは何もない。

のだが、是枝の仕掛ける多様な人物群の錯綜が、その骨子を幾重にも包み込んでまったく飽きさせない。もう彼のお家芸といっていい得意中の得意な構図だ。

脇にいる2人の男が良い。1人は長年マネージャーを勤めてきた男でもう1人はドヌーヴのパートナー兼料理人的立場に甘んじている男。

この女王に傅くかのような生き方を是枝は全肯定で物語の脇に置いている。それが物語りに幅をもたらしていると思う。

 

総じて、又かの家庭劇を、それでも熟達の境地で描いて小津かよって思う世界ではあるが、その完璧な均衡の中で撮影される劇中SF映画が、異物感を払拭できてないと思った。これは是枝の創作ではなく、実際にある小説らしいのだが、どうにも陳腐だ。

であるから、女優としての岐路に立つドヌーヴの懊悩や、作品の影のキーパーソンであるサラおばさんの生き写しという新進女優との軋轢とかがどうにも形骸的に思えてしまう。満点にできなかった理由です。

 

篇中、ドヌーヴが車中の四方山話で姓名のイニシャルが同じ女優が本当にすばらしい仕事をしたと言う。シモーヌ・シニョレグレタ・ガルボやアヌーク・エーメや(他あったと思うが忘れた)とか言ってあと、ブリジット・バルドーもよねと言われて、何それフンみたいなリアクションをする。アドリブであろうが笑った。

 

母娘の確執は散々描かれてきたバリエーションに過ぎないのだが、取り巻く幾人かを混じえたコミューンの空気が理解と信頼を醸し出し膨よかとしか言えない。伝説の域に入ったドヌーヴの重心が世界を揺るぎないものする一方で入れ子のSFが安定を阻害する。(cinemascape)

 

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