★★★ 2022年6月6日(木) 大阪ステーションシティシネマ2
フィルム時代の映画に於いて1秒間は24コマの残像が連なり形成される。そういう意味のタイトルだが、そこまで映画をミクロに突き詰めた何かがあるかと言えば全くない。もちろんチャン・イーモウはフィルム時代から映画を撮っていたわけで、そういったフィルムへの何らかの思いがあったんでしょうが、そこはまあ、この程度かいな、そやろな所詮チャン・イーモウやもんレベルだ。
別れた女房と幼い娘。その娘が大きくなってたまたまニュース映画にちょこっと映っているらしい。それをどうしても見たくて巡回上映の会場を追いかけてる男がいる。映画の後半で漸く彼はそれを見ることができた。のであるが、どうしてかそのことが何の感動も呼び起こさない。それは、男の娘への思いがそれまでたいして描かれていないからで、まあ、そういうベタなことはしたくなかったにせよ、もうちょっと何とかならんのかと思わせる。
一方で、孤児になって幼い弟と2人で暮らす少女がいる。この子がある事情でフィルムを盗もうとする。それで男と係ることになるのだが、この話も生煮えである。ここに尺を費やした為にフィルムの中の娘への思いは放逐されて映画は行く方向を失ったように見える。
チャン・イーモウ映画の特撮とは何だったかと思うに、強固にブレない自我の貫徹であり、それは主に女性によって為されるものであった。今回、おっさんに仮託されたそれは案の定ブレブレであります。フォルムからして、どこかチェン・カイコー的。合わない題材であった。
フィルムに刻印された刹那な残像というもののロマンティシズムを究明しようとの術はチャン・イーモウには無く、毎度お馴染みの可愛い少女を投入してのおっさんとの道行にすり替えられる。過不足ない出来だが、肝心のその画がもたらす何某かは置き去りだ。(cinemascape)