★★★★ 2023年5月31日(水) シネヌーヴォ
ゴーリキーの原作戯曲を読んだことないし、演劇を見たこともない。ただ黒澤の映画は見たことがある。それとこれとでは、ずいぶん印象が違うもんだと思った。
おそらく黒澤版の方がオリジナルのテイストを踏襲してるのだろう。ラスト絶望と閉塞の中で自棄のやんぱちのように唄い踊る人々を延々と写し続けるローアングル・シネスコのマルチカメラ。なんだか今更ながらにすごい傑作のような気がしてきました。
ジャン・ルノワールによるこれはこれで良いと思いました。なんといってもカメラが折にふれ屋外に出て行く。陽光下の川や林や草むらといった煌めきが燻んだ木賃宿の閉塞感と好対を為す。特にナターシャが検閲官のデートの誘いにいやいや応じて行くレストランのシーンは屋外席の華やぎから屋内席の憂鬱へと1カットで横なめするカメラが素晴らしい。
伯爵のキャラを脚色によりピックアップしたのはいいが、後半では結局ワン・オブ・ゼムに埋没してしまう。それでもギャバンとルイ・ジューヴェの川岸のシーンの味わいは印象に鮮やかである。
全体に構成をはじめ歪さや足りなさを感じる出来ではあるが、ルノワールらしい風通しの良さが新たな何かを付け加えている。
ラストはもろ「モダン・タイムス」なのだが、ルネ・クレールの「自由を我等に」ともどもフランスの映画人たちのチャップリンへの傾倒を思わせる史跡であろう。
煌めく川面やそよぐ草むらといったルノワールアイテムが木賃宿の閉塞感に風を吹き込む。その妥協を排した黒澤版がやけに傑作に思えてくるがまあこれも有りか。男爵キャラの不均衡な脚色、レストランでの大移動の過剰は歪に映画であることを示顕する。(cinemascape)