男の痰壺

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夜明けのすべて

 2024年2月15日(木) TOHOシネマズ梅田9

「ケイコ」に続いて又もや何らかの生きづらさを抱えた者たちの話かいな、三宅唱は才能あんねんから題材の方向性を何某かに偏向していってほしくないなー、と一抹の懸念をもって見たのだが、それでもやはり傑作であった。

 

主人公はそれぞれ、パニック障害とPMS(月経前症候群)を抱えて生きる者たちで、それゆえに仕事を失ったり人間関係が破綻したりする。そういう様子が前段では描かれる。もうお先真っ暗,俺なんか私なんか生きてる価値もないし、生きてるのがしんどい、がしかし死にたくはない。この、しんどいけど死ぬとこまではいかない、ってところに三宅唱は希望を見出そうとする。

 

【以下ネタバレです】

であるから、中盤以降、障害が彼・彼女に及ぼす何某かの生きづらさの描写は減っていく。互いに理解者を得て世間と折り合っていく術を模索していく。

互いを必要とし憎からず思っている2人だが、彼女は母親の介護のために退職・引っ越していく。これをして何も起こらないと殊更に言う必要もない。まずは、1人で折り合いつけて生きていく術を得ることが優先だから。俺が2人の親ならそう思うし、三宅もそう考えただろう(ていうか原作がそうなのか)。

 

ボーイミーツガールの定石を放逐してしまった代わりに、移動式プラネタリウムのお披露目が映画の佳境として配される。なんだかショボいなとの予想を超えて相当に感動させられるのは、何万光年の彼方まで広がる天空の悠久に加えて、それをかつて創作した社長の弟の思いが時間を遡求してフィルムに定着したと思えるからだろう。その想いを読み説く萌音のナレーションもまた完璧だった。

 

前作のボクシングジムという映画的な舞台設定に比して地場の中小企業というアンチドラマラスな設定にも三宅は想いを込める。エンドクレジットの長い1ショットはその素晴らしい具現化だ。

 

何某かの生き辛さに対し寄り添うとかお為ごかしでなく1人で社会と折り合い生きる術を獲得してほしいとのメッセージであり、さすればボーイミーツガールの定番は後回しでいい。代わりに据えられたプラネタリウムの挿話が2人の行く末を時空を超えて祝福する。(cinemascape)

 

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