男の痰壺

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マグダレーナ・ヴィラガ

★★★ 2024年6月5日(水) テアトル梅田2

制作・脚本・監督・撮影を全部ニナ・メンケスがやって主演をニナの妹ティンカ・メンケスがやる。主な出演者は数人。もうほとんどプライベートフィルムに近い代物で処女作ならではのゴツゴツした即物感は好悪別れるだろうが俺は好きではある。

でも、80年代に撮られて輸入を見送られたものが、ライカートやアケルマンの興行的成功の余波で「女性故に見過ごされてきた作家」と括られるのは違う気がする。

本作は娼婦の殺人を描いたものだが、劇映画としての具象的台詞は一切なくて発せられる台詞は何のことやらわからない抽象的なものばかり。もろにアンダーグラウンドな前衛テイストで、括られるならウォーホールケネス・アンガーとかとの方が据わりがいい気がする。これじゃ元より興業的には厳しかったでしょう。

 

前半、映画は客を拾うパブ、ことをいたすアパートの部屋、刑務所、を時制を錯綜させながら往還する。前述のとおり台詞は抽象化され、被写体の感情は無機化されて、パターン化された行動・行為の繰り返しは正直退屈である。

しかし、後半になるとそのパターンが徐々に融解し始めてリンチ「インランド・エンパイア」みたいな戦慄の禍々しさが差し挟まれ出す。まあ、若干ショボいんですけど。

 

いずれにしても、女性ゆえの抑圧、その抑圧からの解放といったフェミニズムの思想が基底にあることは確か。でも80年代ならともかく今の時代はもはやその先を行く女性作家がバンバン出てきている。そういう意味で先駆者の仕事を映画史的に追認する以上のものはないようにも思えてしまう。

 

刑務所・パブ・アパートを時制錯綜しつつ往還する前半は定点ショットの反復が高踏的なモノローグと相まりマルグリット・デュラスのように退屈。だが後半になるとそのパターンが融解し始めてリンチのような戦慄の禍々しさが到来する。若干ショボいが。(cinemascape)

 

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