★★★ 2024年6月11日(火) なんばパークスシネマ3
夢も希望もなく疲弊し荒みきっている。そんなとき幾許かの希望が与えられ、後にその希望を潰される。そんなことが何度か繰り返されると回復不能になり完全に潰れてしまう。
こういった自壊シュミレートに肉付けした物語という以上のものは感じられなかった。
それで何が悪い?物語を構築するってそういうことやん、なのだが、肝心の主人公に関する描写の不足感がひっかかる。
①シャブ抜けの大変さ
②母親の呪縛からの離脱の葛藤
③介護職への習熟・適応
主にその3点で足りなさを感じた。多分それぞれ1シーン追加すれば解消できたのではないかと思います。
入江悠の視点は、おそらく彼女自身のことよりも、そんな彼女を救うことができない社会のシステムへの疑問・怒りに向けられている。その点で佐藤二朗の刑事個人に依存する救済の在り方の皮肉な顛末は作劇として文句はないし、稲垣の詠嘆は映画としての精一杯の帳尻の付け方。
オリジナルな自身のシナリオで問題提起する彼の着眼と意欲は「ビジランテ」や「AI崩壊」同様に尊敬に値する。
でも、ラストの締めもやっぱりひっかかる。今回、女房と一緒に見たのだが、「なんやねん、いっちゃん悪いのは子ども押し付けて逃げた身勝手な女ちゃうんか」という俺の感想に「あんたわからんの?DVから逃げるために仕方なかったんやんか」と言われそうかとは思ったんですが、やはりここもDV男を1シーンでも見せていれば印象は大きく変わったであろう。