★★★★ 2018年8月11日(土) プラネットスタジオプラスワン
昔の映画だし、ハリケーンの描写もどの程度のもんだろうと思って見た。
が、想像以上であった。
水量が半端ない。
風の強さが半端ない。
そして、人々の命が半端なく奪われる。
その皮膚感覚からしても、この映画の描写は嘘がないのだ。
さすが、ジョン・フォードだと思う。
そして、この手のパニックスペクタクルにありがちな、手を抜いた物語が災害描写にぶら下がっていない。
物語の強度があるのであった。
煎じ詰めればジャン・バルジャンです。
無実の罪で(無実でもないんだが)、投獄の憂き目にあった男がもがいてドツボにはまりこむ物語。
ちょっと、この男、いくら嫁はん恋しやでも単細胞なのであるが、単細胞は物語に強度を与えるのであった。
そういう、圧倒的なアホ顛末の悲劇の収斂するところにハリケーンはやって来る。
そして、すべてを洗い流すのだ。
善意も悪意も、良識も非情も。
その、物語に組み込まれたカタストロフィは完全に見世物を脱して映画世界に適合している。
馬鹿一徹の愛は軽挙妄動の単細胞連鎖で男をドツボ地獄へ追い遣るのだが、大自然の猛威は全てを無に帰する。その水量の莫大さと強風の激甚。カタストロフィと物語の強度が拮抗して互いに依存せず新たな地平へ映画を誘う。一種の純粋映画の境地に達している。(cinemascape)