男の痰壺

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ミークス・カットオフ

★★★★ 2021年10月24日(日) シネヌーヴォX

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開拓期のアメリカて新天地を求めて荒野を彷徨する3家族と案内人。

なのだが、妻たちの1人、ミシェル・ウィリアムスのドレスがピンクっつーのがなんか違和感ありますな。まあ、どうでもいいけど。

 

こういう時代だから行程の何某を決めるのは男たちで、女たちはその決定に従うだけ。従来の西部開拓ものでは彼女たちは添え物扱いだったわけだが、女性監督のケリー・ライカートだけに男たちが何やら相談してるときもカメラは女たちの側にある。この視点の転倒が新鮮である。

 

この映画は、人同士の信頼への甘え切った無謬性を徹頭徹尾に否定する。話せば分かり合えるとか、説得が通じるとかみたいなどっかの国の野党とかが逃げ込みたがっているその手の幻想とは無縁の人間観。

 

中盤から一行に加わる捕らえた先住民の男。案内人ミーク曰く「こいつらは捕らえた白人の瞼を切り取って炎天下に土中に埋めるような奴らだ、殺すべし」。

水のある場所へ案内させるため生かした男の破れた靴を主人公エミリーは縫って直してやる。言葉の通じない男の真意を推し量るとか心の交流とかじゃなく貸しを作るという合理性だけが彼女の行動規範みたい。

 

終盤、長い荒れた坂を3台の幌馬車を人力で引っ張りながら下ろすというシークェンスは、延々と本当にそれをやってる点で価値がある。映画撮影において効率が支配する現代、ヘルツォークやチミノやタルコフスキー相米的な本物へのバカげた拘り。

 

急転直下に転がった物語はエミリー、ミーク、先住民の3竦みへ収斂する。意外なまでのケレン。

 

案内人の誤った価値判断や一行の不確実な予見を見抜くかのように、エミリーと先住民は通底しつつ、しかし双方が孤高に屹立している。この世界には確実なものなど存在せず、とどのつまり全責任を負うて自分で決めるしかない。幻想の無謬を打ち砕けとの提言。(cinemascape)

 

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