★★★★ 2023年3月8日(水) 大阪ステーションシティシネマ79
人間歳とると自分史を語りたくなるみたいで、そういうのってご本人だけがご満悦で、聞く方はうんざりってのが多いもんだが、そこはそれスピルバーグですから、やっぱさすがやな思いました。
これは、成功を掴むまでの前史にとどまってるので、俺はこうやって成功したのだ的な自慢語りの要素は皆無であるし、映画大好き、シネフィル人生万歳な太平楽のスカした要素もない。
フィルムが意図に反して何かを映し取ってしまう。この極めて映画的なモチーフが2度に渡り登場する。デ・パルマほどモノマニアックでないし、アントニオーニほど形而上的でもないのだが、それでも、映画はそのモチーフを基点にいろんな枝葉をつけて構成されていると言っていい。
スピルバーグは意図せぬものを映し取られた側の心理に踏み込んでいく。それが、若い頃の彼の母親であったり、ハイスクールのクラスメイトであったり極私的対象なだけに、予想外に剥き身で痛々しいし、返す刀で彼自身も切られる。覚悟を感じました。
クレジットのビリングトップは母親役のミシェル・ウィリアムズ。クールな佇まいと幾許かのファニーフェイスを併せ持つ女優だが、女の生理みたいなものを否応なく表出してしまう一面もある。本作では彼女の登用が絶対条件だったろうと思わせます。
意図せぬものが偶然フィルムに写り込んでしまうというモチーフを、そこで終わらせずに対象に切り込んでいく覚悟。結果、我が身を曝け出し切り込まれても良いという境地。そこに至った者だけが許される楽屋落ちは予想以上にパーソナルに深淵な遺言なのだろう。(cinemascape)