男の痰壺

映画の感想中心です

福田村事件

★★★★★ 2023年9月11日(月) シネリーブル梅田1

見る前に2つ懸念かあった。

・ドキュメンタリストの初めての長篇劇映画。

・リベラルサイドへのバイアス。

であったが杞憂だった。前半不振だった2023年の日本映画に骨太なベンチマークが立ったことを喜びたいと思います。

 

関東大震災の最中に流言飛語によって朝鮮人虐殺が行われたことは、例えば瀬々「菊とギロチン」なんかでも触れられていたが、あくまで思い出話としてであって、同時進行形として描かれたのは初めてなんじゃないか。ただ描かれるのは1人の朝鮮人少女が自警団によって竹槍で刺し殺されるシーンのみで、何千人とも推察されるらしいジェノサイドを遍く描くものではない。映画は千葉のど田舎福田村での事件をメインに描くものだから。

この少女虐殺と並行して、震災のどさくさに紛れ、コミュニストの作家が軍部に捕えられ刺殺される描写がある。幾分かの唐突は否めないが、それでも作り手の単視眼でなく巨視的であろうとする度量が伺える。総じて、本作は引用される史実や伝聞の量が相当に分厚いのだ。それが、昨今のリベラルサイドの偏狭さと一線を画している。

 

福田村に2組と1箱が帰って来る、又新たに訪れる。そのことが起動させるドラマが前段なのだが、概ねエロスとタナトスみたいな根源衝動に根ざしているのが骨太。今村的な土俗性を帯びた映画を再び見れるとは思わなかった。担う瑛太と東出がこれまで見たことないような性根で存在感を表出させるのにもマジ驚かされた。

 

人を殺す、或いは殺されることに過剰な情緒を注入しない点も新しい。そこにあるのは諦念と無常だけだとでも言うように。行商一行の中で最も勉強好きな若い青年の、こんなに早く俺死ぬのかといった末期の言葉は刺さる。可哀想だから殺しちゃダメではなく、間違ってるからダメなのだ。そういった視点は全篇に通底している。

鮮人、穢多といったポリコレ信者まっ青な言葉を臆することなく使っているのも良い。時代を描くのに必然なのだから。過剰な忖度に染まったテレビ局に企画持ち込んで断られたそうだが良かったよ。まずもって言葉狩りでカットされるだろうから。

 

新のインポと瑛太一行の被差別部落であることと東出の邑社会からの逸脱が前半を牽引するのだが、それらは事件と因果関係がないという脱構築された構成が数多の史実・伝聞を包含して到達した巨視的フォークロア。廃された情緒。際立つ諦念と無常。(cinemascape)

 

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