男の痰壺

映画の感想中心です

カラーパープル

★★★★★ 2024年2月26日(月) 大阪ステーションシティシネマ

スピルバーグの作品は未見です。もし見てたら今作を見る気は起きなかったろうし、そもそもそういったこと抜きにしても見る気はなかった。安牌狙いの迎合的なもんだろ思ってました。たまたま空いた時間に見るのがこれしかなかったからから見たけど、得てしてそういう時に良い映画に当たるもんで当たると嬉しい。映画はやっぱ見てみないとわからない。

 

少女時代から初老期に至る女の一代記であり、時代に竿刺す女性受難の生涯のなかで、如何にして男どもに虐げられてきた彼女が自我に目覚め抑圧を跳ね除けるに至ったか、と物語は至ってシンプルであり、それだからこそ構造の強度は頑強である。

 

彼女の生き様を変える2人の女性が登場する。2人は殊更に彼女の生き方に介入はしない。ただ、男の抑圧に屈しない生き方、男なしでも自立して生きる姿を彼女に見せるだけである。それでも彼女はなかなか変わることができない。しかし、何十年もの年月を経てその時はやってくる。この忍従のタメがあるからカタルシスは生まれる。2人の女性を演じたタラジ・P・ヘンソン、ダニエル・ブルックスに祝福あれ。

 

20世紀初頭のアメリカ南部が舞台ということで、当然人種差別の問題が避けて通れなさそうだが、あくまで黒人コミュニティの中だけの男女差別にテーマは絞られる。でも、それでいいのかとの思いは、後半で登場する白人クソ女で1点突破される。そのあたりも拡散を制御するシュアな作劇だと思いました。

 

ミュージカルとしての側面では黒人音楽のブルージーなささくれ感はマイルドに希釈される。まあ、この忍従の女性ドラマでは仕方ないのかもしれない。

 

スピルバーグ版未見なので物語の強靭な構造にストレートに射られた。彼女は如何にして男どもの抑圧を跳ね除けるに至ったかの「女の一生」で年月の重みがカタルシスを産む。2人の女性が彼女に影響を与えるがあくまで影響だけ。勝ち取るのは本人だの真理。(cinemascape)

 

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