男の痰壺

映画の感想中心です

新感染 ファイナル・エクスプレス

★★★ 2017年9月8日(金) 大阪ステーションシティシネマ11
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父性の回復といった命題が主軸にあるが、それよりも否応なしに浮上するのが自己犠牲だ。
・幼い愛娘
・身重の愛妻
を救う為に男たちは死ねるか(ゾンビになれるか)?…といった問いかけがベタに繰り返し問いかけられる。
お前はどうなのかって?
もちろん死ねますよ。
…「幼い」「身重」「愛娘」「愛妻」といったキーワードが揃ってたならの話ですけど。
こういう主題を問わずにおれないのは、やっぱりセウォル号沈没事件が韓国の人々の中にトラウマとなって残っているからでは…なんて思ったりもします
 
で、ゾンビ映画としては新しいもんは無いですなあ。
何より個体としてのゾンビが全くフィーチャーされず、わんさか群れ為す集団としてしか描かれないのが徹底的につまらん。(あえて言うなら冒頭の鹿くらい)
少し前の日本映画「アイアムアヒーロー」の方がゾンビキャラは立ってました。
群れゾンビにしたって、十重二十重に折り重なって迫りくる描写が、どうにも「ワールドウォーZ」とかぶる。
走る列車を追いかけて群れてひきずられる場面では、どうせなら最下部のゾンビが肉ひきちぎれてグチャグチャになるくらいにやって欲しいっす。
 
列車という高度に映画的な道具を生かし切っていないのも痛いが、役者陣はいい。
ポセイドン・アドベンチャー」におけるアーネスト・ボーグナイン的な位置づけのマ・ドンソク。
その身重の妻のチョン・ユミがホン・サンスの映画とはうってかわった好感度高い役。
この2人は助演賞もんだと思う。
 
愛する者の為に死ねるか?の命題が再三に渡り問われるのは自己犠牲を高らかに謳わざるを得ぬセウォル号事件による民族トラウマか。ゾンビ映画としては新しいもんは無く群れ為す集団としてしか描かれないので結局は鹿しか印象に残らない。列車の疾走感も蔑ろ。(cinemascape)