★★★★★ 2019年10月17日(木) 大阪ステーションシティシネマ11
原作未読だが、物語を語るに妥協しないし、骨子がブレない頑強さを感じた。
言わばこれは、3人の天才たちの数日間の物語なのであるが、彼らは社会から孤絶することに何の疑問も持たないし、そもそも社会の存在すら意識していない。
もっと言えば他の同じ地平に立つコンクール参加者も意識していない。戦っているのは徹頭徹尾に自分となんです。
そこが、この手の物語でままある、われわれ凡人との対比の中にドラマトゥルギーを見出そうとする論法と袂を分かっているし、そもそもに石川慶は、そんなこと頭から考慮さえしてない節がある。
ポーランド国立映画大学出身という特異な経歴をもつこの監督の前作「愚行録」をあまり買わなかった俺ではあるが、コメントを読み返してみると、この監督の名前は記憶に値すると書いてあったので、ホッとしました。
話のキーポイントは2つであって、それはピアノコンクールにおける2次予選と本選を前にして、過去のドタキャン事件から7年間のブランクを埋めるべく揺れて躊躇う主人公が如何にして、それを乗り越えられるかってことで、そこが、なんだかよくわかんなーい。のである。
まあ、2次予選は、なんとなく「劇薬」と評される無名の若い新人の言葉に触発されたらしいのはわかる。そうだ、私もそうだったんだわって吹っ切れたってことなんだろう。(何が?はおいといて)
課題の自由演奏で、他の奏者が事前に譜面に起こして猛練習したそれを、まったくの白紙で本チャン一発の即興で乗り切ってしまう。
よくわかんなーいのだが、スゲーっていう境地です。
そんだけスゲーのに、本選を前にして、またぞろ私やっぱりダメみたいになってしまう。あー、めんどくせーやっちゃなあ。
なんですが、すごすごサイナラしようとした彼女に、前の奏者に対する会場の怒涛の拍手が聞こえて、そこで俄かに映画冒頭でも現れた野生馬の禍々しいイメージが現れる。
と彼女、やにわにとって帰して演奏を完遂するわけです。
は?って感じで、なんやそれとも思うんですが、見てる間、強引な演出が疑義を凍結させて見せきってしまう。
何日か、思い出して考えるに、あの馬のイメージは、天才である彼女の内なる衝動みたいなもんやったんやわ。とあってるかしらんけど1人合点したんですが、演出が独善的と言われてもしかたない強引さだ。
だが、マニュアルに支配された感のある今の映画作りに於いて、こういう不親切は俺は支持したいと思いました。
見る前は、松岡茉優を除くキャスティングに旬を過ぎた汎用品を揃えただけやんとも思っていた。しかし、斉藤由貴も鹿賀丈史も、ここでは本気汁が滾ってすごくいい。
森崎ウィンの師匠の外人も、どうせ適当な在日外タレかと思ったら、ワイダやキェシロフスキの映画に出てたポーランドの本物だった。
演出の本気が演者たちの好コラボレーションを形成させている。
天才が自己回復するのに我々凡人がわかる映画描法でなく訳分からん馬で起動する何かを表象した。社会から隔絶した何処かで世界の波動に耳を傾ける海岸シーンの無垢な悦びも束の間、コンクールという世間に戻って勝ち上がる。与えられし者への惜しみない賛歌。(cinemascape)