男の痰壺

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ロングデイズ・ジャーニー この夜の涯てへ

★★★ 2020年2月29日(土) シネリーブル梅田4

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まったく予備知識なしで見たので、60分のワンカット長まわしのことも見るまで知らなかった。

また、見た映画館は2D上映だったので、その60分が3Dになってることも知る由もない。

 

ずいぶん久しぶりに帰郷した男が、うろうろしながらかつての女のことを回想するって話なのだが、俺はそれが内実のともなわないのにポーズだけ浸りきった代物に思えて、見てる間にうんざりしてしまった。

浸りきったポーズがお得意と言えば、ウォン・カーウァイとかを連想するが、もっと絢爛としたテクニシャンであるし、その内実は可愛げがあるように思える。

この、ビー・ガンの作品は表層的に思えた。正直眠かった。

 

しかし、その60分が始まったとたん俺のアンテナは覚醒し始める。予備知識なしで見てるわけなのでキター!って思うわけじゃないのだが、それまでと明らかに違うテイストだった。空気が変わったきがした。

最近、「1917」ってのがあったが、あれは本来ロング、ミディアム、アップのショットをモンタージュするところをワンテイク内で編集してるようなもんで、高度な技術と緻密な計算にもとづいており、しかもCGでお化粧をほどこしてワンカットを意識させない。

これは、もっと原初的なテイストで、相米の映画みたいな肌触りだ。

 

リフトで高台から下降し、降りた世界ですれ違う女たちに、嘗ての彼女の面影を感じて後を追って彷徨する。カラオケ会場からビリヤード場へ、ビリヤード場から再びカラオケ会場へ、そして鄙びた街角を彷徨いカラオケ会場へ戻る。

その間、世界は現実との境界を融解し始め、夜のしじまの中で迷宮化する。

決して再会することの叶わない思い出の女は迷宮の彼方に立ち消えてしまう。

移動を続けるミディアムショットの60分は、それまでの自己憐憫めいたひとりよがりから、一気に俯瞰の視座が与えられ映画を違う次元に解放している。

この60分だけなら★5でもいいとは思いました。

 

自己の憐憫と陶酔に関するエトセトラは大した内実なきものを勿体ぶって語るに過ぎなく思えるが、そのミディアムショットの緩慢な移動が始まると世界は現実との境界が徐々に融解し始め夜のしじまの中で迷宮化する。獲得された俯瞰の視座が映画を解き放つのだ。(cinemascape)

 

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